エッセイ きれぎれ草 32 <徒然草考>
徒然草は明るい
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この明るさは、兼好の人柄に拠るというようなものではないようである
また、仏者の悟り済ました心境というものでもない
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岩波文庫版では、「あやしうこそものぐるほしけれ」<序段>の現代語訳として、「妙に馬鹿馬鹿しい気持ちになるものだ」とある
わたしは、ここに貴重な無邪気さを見る者である
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徒然草には、兼好の筆によらなければ、単にバカバカしい話ということで、済ませて差し支えないような話柄が多く見える。
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小林秀雄の読みが、間違っているとは思わないが、「徒然草」と近代的な暗さとは、どうにも、相性が合わないもののような気がしてならない
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徒然草の明るい無邪気さは、日本語の持つ明るさそのものから来ているのではないか
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単に兼好の皮肉と見える箇所で、文章自体が無邪気に微笑んでいる
「上人の感涙いたずらになりにけり」236段
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