エッセイ ベートーヴェン <弦楽四重奏曲>
何でも、今年はベートーヴェン生誕250周年の年だそうで、ベートーヴェンに関する話題が多いそうである。
わたしは、ベートーヴェンのカルテットについては、不思議な聞き方をしたと思っている。先ず、いきなり、あの後期のカルテットを聴き、十五番のリディア旋法の箇所を除いて、まるで分からなかったこと。
それから、中期のラズモフスキーを聴き、ベートーヴェンのカルテットの聴き方を理解したと思えたのち、後期のカルテットへの展望が開け(こういう言い方で良いのかな?)、後期のカルテットがよくよく分かるようになったこと。
それで、初期のカルテットの、ベートーヴェンがベートーヴェンになったと言われている、作品18の六曲は、そのずっと後で、聴くことになって、その初聴のときは、やはり、後期のカルテットと同じく、まるで、その良さが分からなかったこと。
じっくりと聴く、と言うより、ある音型を見出せてから、ああ、なるほどと理解できたこと。
思えば、とてもたどたどしい経過を辿って、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いてきたように感じる。
バッハやモーツァルトでは、ほとんど起こらなかったことが、ベートーヴェンでは、至る所で起こって来る。これは、また、どうしてだろうかとも、かんがえては見るのだが。
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