西郷隆盛 偉大な人ほど、傍らから見ると滑稽であるようだ。 ○ この人は、史実に拠る限り、およそ外見上の威厳というものを、まるで持たなかった人で、上野公園の有名な銅像などは、全くのうその皮である。 ○ 西郷という人格には、正面から挑もうとすると、此方が砕けてしまう。 歴史上の破... 続きをみる
西郷隆盛のブログ記事
西郷隆盛(ムラゴンブログ全体)-
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巨大なるこころ持ちたる西郷の動き愚にして直く剛なり 天才の居なくなりたるクラシック演奏もまた天才要す 鳴り響く稲妻繁く町を刺す
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名高い本ですが、西郷は、書を世に問おうとする意思を、まるで持っていなかった人だということを忘れてはならないでしょう。この書は、ある藩での西郷の講義筆録をまとめた小さな本ですが、読み方は少々難しい本であると、撰者には思われます。蒸気機関や電信などの、当時最新の技術を何のために取り入れるのかというよう... 続きをみる
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金もいらぬ命もいらぬ名もいらぬそのまま生きた西郷隆盛 人として桁外れなる西郷の器をおもひ秋は深まり 自販機にようやく赤の「温」灯り
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理念とは、それを法令のように、人に押しつける筋合いのものではなく、常に自分の身の内にあって輻射熱のように、自分を限りなくたぎらせるものであることを、西郷ほど自ら実証した人はいないであろう。 理念は、理念という言葉を取る以前の分析のかなわぬ理想的な思想として、西郷に経験されていたであろう。「敬天愛人... 続きをみる
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理念というものは、取り除けを許さない。言葉通りというのが、その本来の姿である。この理念を、日本史上、最初に行動に移した人間をかんがえてみると、信長に思い至ると思う。 信長という人間は、言葉数は少ないが、彼の下した命令は、絶対で、言葉通りであって、少しの取り除けも許さない。戦国の世にであったとしても... 続きをみる
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武士道は、歴史的に見て、非常に発展性のある思想である。これは格別なことといって良く、世界的に見ても稀な思想と言って良いようである。 思想というものは、深くそれを考察するとき、原点に戻るのが本来である。キリスト教でもイスラーム教でも仏教でも儒教でもその原理は変わらない。言わば、最初にすべてが所与され... 続きをみる
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原文は、とても立派な英文で書かれているそうです。西郷隆盛をはじめとして中江藤樹、二宮尊徳、上杉鷹山、日蓮らの短いけれど、じつに精彩に富んだ評伝集です。誰も内村が書いたように、これらの日本の傑物たちを書けた人はいませんでした。これは内村鑑三自身が代表的日本人だったからに他ならないという理由によるよう... 続きをみる
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一時期、「ラスト・サムライ」という映画が流行ったことがあった。わたしは流行りものは敬遠する性質で、未だに、その映画は見ていない。 わたしが思ったのは、内村鑑三が「代表的日本人」の中で、西郷を評して「最後にして最大の武士」と言っていたのを、記憶していて、そのことを、あれこれとつらつら思い巡らしたので... 続きをみる