Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 武士道 <西郷隆盛における>

武士道は、歴史的に見て、非常に発展性のある思想である。これは格別なことといって良く、世界的に見ても稀な思想と言って良いようである。


思想というものは、深くそれを考察するとき、原点に戻るのが本来である。キリスト教でもイスラーム教でも仏教でも儒教でもその原理は変わらない。言わば、最初にすべてが所与されているものなのである。


日本で最初の征夷大将軍は坂上田村麻呂である。この人は、出自の確かな武勇に秀でた人ということだけで、それ以外のことは後世の附会のようで、この人のことを深く調べても、武士道という思想は、よく分かりはしないようである。


武士道は、元々鎌倉時代「弓馬の道」と言われていた。弓馬の道の意味合いは「清濁を分かたぬ武士」「清濁を併せ呑む武士」である。それが、だんだん仏教や儒教の洗練を受けて「武士道」へと発展していくのであるが、その登場から発展過程を見ても、萌芽が徐々に大木へと生長していくように、様々な文化浸透によって、多くの思想を内包しながら、成長してきたもののようである。


内村鑑三が最大の武士として賛辞を惜しまなかったのは、西郷隆盛であるが、西郷の有名な「敬天愛人」という思想をよく見てみよう。この中にある「愛」という言葉は、西郷の時代、決して現代の日本のように、よりよく抽象された言葉ではない。むしろ、当時は、性愛の意味合いの方が強く、キリスト教で代表されるような普遍的な「愛」という意味合いはなかったものである。すると、西郷は現代の意味合いでの「愛」を予見していたのか。わたしには、そうとしか思えないのである。


西郷の事跡を追っていくと、若いときには、禅の指導を禅僧から受け、藩では儒教を学び、その本質的なところはしっかりと掴んでいたことは間違いない。西洋の思想にも格段の理解を示しているのが見られる、キリスト教についても、その西郷の無私の態度は少しも変わりはしなかったであろう。


西郷は、キリスト教の本質がLove「愛」という一語に込められていることを、当時、非常な洞察力で見抜いていたように思える。傍らの人、それがたとえ敵であったとしても、「愛する」ということは、西郷の事跡を見てみても、はっきりと実践されている。


これは、じつは大変なことなので、西郷という人が、非常に焦点の結びがたい大きな人格の持ち主であることと、西郷において、武士道はキリスト教さえ、その中に内包することに成功したことを物語っていると思うのである。西郷には、武士道というものにおいて、非常な可能性が秘められているように思える。


西郷のような大人格には、近寄って見てはいけないのだろう。富士が遠くから眺められて、はじめてその偉容をあらわすように、われわれは群盲象を撫でるようであってはいけない。司馬遼太郎と、同じ轍は踏んではいけないのだろうと思う。


一首
武士道と人は言えども侍の鑑ならめや西郷隆盛