吉田さんが聞いたという小林のことばには、付け足しがあって、「独創的な思想家などというものは」ということばが、補足としてあるそうである。 わたしは、その文章を読み、ああ、これは明らかに思想上の相違だ、どちらもこれは譲れないところだろうと、直感したことを覚えている。 というのも、吉田さんの意見としては... 続きをみる
芸術のブログ記事
芸術(ムラゴンブログ全体)-
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ドストエフスキーには、芸術しかなかった。言わば、そこまで人間として追い詰められていた。トルストイは、芸術以上のものを欲した。人間として、ドストエフスキーより遙かに格が、上だったこともある。 ○ 芸術以上のものとは、宗教であり、思想であった。 ○ 東京裁判 正義に名を借りて、人間... 続きをみる
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当人が、自分に酔っているような芸術、詩や小説や絵や音楽、または、その演奏というものは、それなりの訓練を積めば、ほとんど誰でも、見抜けるようになるし、聴き分けられるように、なるものである。 ただ、怖いのは、これが、自身が創作したり、演奏したりしたものとなると、多くの人が、たちまち曖昧になるもので、じ... 続きをみる
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上掲の人は、横綱審議委員も務めたこともある、ドイツ文学の研究者で、今の人には、耳遠く感じられる人であるのは、間違いない。 もう、亡くなってから、何年経つであろうか、という人である。ただ、新潮文庫のフロイトの「夢判断」と「精神分析入門」の訳者は、今も、この人の筈だから、少し教養のある人には、それで通... 続きをみる
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小説は善意のウソ ○ 人間はギリギリが好きな生き物 ○ 音楽 剥き出しの芸術 今は、録音技術が発達しているから、そんなに感じないが。音楽は、そこに、演奏家が居なければ、とても成立し得ない芸術であった。これほど、時空を共にする、いわば運命共同体のような芸術は、他に、演劇があるのみ... 続きをみる
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わたしは、専門家という人は尊重している者だが、文芸や芸術においては、専門というものを信じられない人間である。その道のプロとは、昔言葉に過ぎないと言ったら言い過ぎかも知れないが、文芸を鑑賞するとき、どこに、専門センスが必要な文芸や芸術があるだろうかとかんがえてしまうのである。 素人とは言うが、現代の... 続きをみる
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ピカソは本質を掴むのはうまいが、それを壊して表現しようとする ○ ピカソは模倣をすれば、誤る ○ これは、行き止まりの芸術である
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西洋音楽に精通し、よくよく総覧した著者は、音楽には、よく言われるような「進歩」や「進化」などというものはなく、あるのは「メタモルフォーゼン<変容>」であると結論付けます。このことは音楽に限らず、芸術一般においても敷衍して言えることなのかも知れません。指揮者や音楽評論家としても活躍した著者の優れた音... 続きをみる
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「初心忘るべからず」や「秘すれば花なり」といったたいへん有名な言葉の載っている世阿弥の芸道指南書です。「美しい『花』がある。『花』の美しさという様なものはない。」「世阿弥の『花』は秘められている、確かに。」という小林秀雄の名文句によっても光を受けました。芸術に少しでも関心のある人なら、座右に置いて... 続きをみる
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芸術上、あるいは宗教上に伝えられるものとして、秘伝というものがある。禅の教外別伝などは次元の違う考えで、混同してはならないが、この秘伝というものの正体はそのほとんどが俗なものと言っていい。 能にも秘伝がある。このことは世阿弥が風姿花伝の中で、はっきりと書いているが、芸の妙味というものは、能に通じて... 続きをみる