Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 文章(芸術)というもの <自己陶酔>

当人が、自分に酔っているような芸術、詩や小説や絵や音楽、または、その演奏というものは、それなりの訓練を積めば、ほとんど誰でも、見抜けるようになるし、聴き分けられるように、なるものである。


ただ、怖いのは、これが、自身が創作したり、演奏したりしたものとなると、多くの人が、たちまち曖昧になるもので、じつは、この自己陶酔というものは、その道のプロと呼ばれているような人でさえ、よく陥りがちになる、至極厄介な、罠のような現象である。


こうしたとき、他人の事は、じつに良く見えるものであるが、自分のこととなると、まるで、分からなくなる。これは、その通りのことなので、人間存在の不思議な事実であると言って良い。


よく、自分のことは、自分が一番よく分かっていると主張して止まない人がいるが、これは、まったくのお門違いであって、むしろ、その人は、他人の目から自分を防衛しているか、元々自分のことを第三者の目で見えない人と、踏んで良いくらいである。ただ、中には、そうではない人もいるが、これは、極めて少数派である。


いつであったか、ある詩の会に出たとき、もう、年配の男の人だったが、自分で書いた詩のような文章を、皆んなに配って、こう言ったものだった。


「わたしは、長い文章は書けません。短い詩のようなものなら、書けます。ここに、以前、わたしの書いた文章を、載せた新聞がある。わたしの文を認めてくれた訳だが、これも、短いものだ。それで、皆さんのわたしが書いて来た、この詩文についての批評が聞きたい。」と。


その詩文なるものを、読むには読んだのだが、残念ながら、その文章は、お話しにもならないと感じた。その話にもならないという思いは覚えているが、どんな文だったのかまるで記憶がない。新聞に載ったという文章も、その点、同断だった。そう感じたが、そう言う訳にもいかない。そんな事を言えば、失礼極まりない。それに、抑も、初対面の相手である。わたしは、様子を伺うことにした。


そこに、直言する事が、平気な人がいた。若い女性だったが、思ったことをつけつけと言う事を、好む人であると、後から聞いた。この女性もその男性とは、初対面だった。


この人の詩文も、読ませて貰ったが、情感に溢れているのだが、読んでいると、此方が恥ずかしくなって来るくらいの、思い入れの強過ぎる、どうにも、独りよがりと思える文章だった。もちろん、そのことも彼女には言わなかったが。


その女性と先の男性との言い合いが始まった。男性は、容赦なくものを言う彼女に、「いい加減にしろ。」とか、「ふざけるな」とか、「何を読んでものを言ってるんだ。」とか、ほとんど、本気の喧嘩腰なのだが、如何せん、反論が子供じみ過ぎ、何を言ったことにもなっていない。


男性は、まったく、真面目一方の様子であったのを、わたしは呆気に取られながら見ていた。その怒り方も、「自分は大した文章を書いているのに、なんだその批評は。」という言外の言い方で、わたしは、心の中で、その勇気ある女の人の肩を持った。男性は、まるで、ほとんど殴りかからんばかりの、ものの言い様だったからである。後で聞いたところ、この人は、公務員ということだった


その散々な批評の中で、うろ覚えに覚えているのは、「自分に酔い過ぎている文章。」という言葉であった。


その言葉を聞いたとき、いや、お嬢さん、ご自分もその仲間だよと、わたしは心の中で呟いたものだった。


そうして、その言い合いの仲裁をしたのが、もう、亡くなってしまったが、詩の会を統括しているこの人も詩を書く、男のご老人だった。


おそらく、この人には、こうした事は、めずらしいことではなかったようで、男性をうまく持ち上げて、取りなし、その場を収めていた。


詩の会というものは、会費を払わなくてはならず、抑もが、詩は、儲からない世界なので、その人がへそを曲げて、もう来なくなり、一人分の会費が減るのを、怖れるのである。結構、これはこれで、世知辛い世界なのである。


それで、思い出したことがあるのだが、わたしがまだ若い頃、ある家電量販店で、アルバイトをしていたとき、そこの雇われ社長が、自分史というものに興味を持って、書いているということを、何かの拍子で、打ち明けられた。


わたしは、そのとき文芸同人誌に属していて、この人から「一度、読め。」とその人が書いた文章を押し付けられて、命令されるように、そう言われた。じつは、この人は、早稲田を出ていて、とても気位が高く、他の従業員からは、みんなから嫌われているような御仁だった。わたしは、そういう人とも、うまくやっていくような所があった。


それで、読んだのだが、本も碌に読みこなせていないし、文章も書き慣れていないのが、すぐに分かるというような、幼稚な代物だった。当然、そのことは明け透けには言わなかったが。読後感を問われたときは、曖昧に濁していた。


それで、それから、ある年月が経った頃、そのわたしの所属していた文芸同人誌の人が、やはり、自分史というものを書き始め、その人が亡くなる間際に完成して、ある企画に応募したようで、その中で大賞とはいかなかったが、特別賞を取った。


その前に、その人に事情を聞いたところ、先に書いた雇われ社長も、その自分史の企画に応募していたそうで、わたしは少なからず、驚いた。


特別賞を取ったのは、主に自分ではなく、自分の家族のことを中心に、筆を進めていて、作品は確かに、それなりのものだったが、自分史とは、少しかけ離れるということで、特別賞となったということだった。


この人は、じつは高卒で、仕事はずっとペンキ屋をやっていたが、長年の間、文芸同人誌の中で磨かれて来たので、文章を研鑽することが、出来たようだった。わたしは、この人の文章の批評には、遠慮なく、ものを言ったものだった。


この人も、負けず劣らず、わたしの文章の批評をしたが、大概は、難しい文章だと言って逃げられたものだった。ちなみに、このわたしの書いた文章が難しいという批評は、色々な人から言われていて、自分の文章の最大の弱点だと思っている。


それで、先に書いた雇われ社長は、何も貰えずじまいというわけだったが、無論、学歴がものを言う世界ではないのは、言うまでもない。


その賞を取った人のお通夜で、偶然、その元雇われ社長と会ったが、「やあ、社長、お久しぶり。」と、わたしは少々、皮肉を込めて、挨拶したものだった。その人は、その皮肉に気付いたのか、気付かなかったのか分からなかったが、わたしの挨拶に、返事もしなかったものである。


ともあれ、この人の自己陶酔は、まるで、覚めていないのを、推察できたと思えた。


少々、長い文章になってしまった。


それで、わたしは明治以降の作品で思うのだが、特に、与謝野晶子の短歌なり、文章なのだが、よくも、ここまで自己陶酔に耽っている文章を、みんな、良い文章だと褒めているのが、訝しくてならないのである。


だが、これはこれで、また、別の主題になるとは思うが。