エッセイ 専門というもの
わたしは、専門家という人は尊重している者だが、文芸や芸術においては、専門というものを信じられない人間である。その道のプロとは、昔言葉に過ぎないと言ったら言い過ぎかも知れないが、文芸を鑑賞するとき、どこに、専門センスが必要な文芸や芸術があるだろうかとかんがえてしまうのである。
素人とは言うが、現代のように、様々に常識が紛糾してしまっている状況にあって、それでも、健全な常識を備えている人間が、居てこその、文芸や芸術というものだろうと思っている。
個性とはいうが、その人の単なる強度の癖に過ぎないものが、強い個性と思われたり、ただ、他の人とは違うことが言いたいばかりに、古典のようなものを貶してみたり、どうでも良いような凡人を偉人に仕立て上げてみたり、今の風潮は、どこか、じつに歪んでいるように思えて仕方がない。
今、どの人文分野でも、見巧者というような人が居なくなってしまったようである。健康な常識を備えた現代人、こう言っただけでも、何をピント外れなことを言っているというような反論が出て来そうな、昨今である。
それでも、しっかりとした目を持った人は、どの時代でも必要であろうし、また、隠れてはいるが、そうした人は必ず居るだろうと信じてはいる、そうでなければ、文芸や芸術というものに関わっていて、何が面白いであろうか。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。