学問とは、ものに行く道であって、自分に向かう道ではない ○ 自分を対象にして、道を踏み謬らないのは、ソクラテスやゲーテやルソーやユング、明恵や芭蕉のような選ばれた天才たちであって、われわれ凡人は、よろしく自分以外の何ものかに、向かうべきである ○ 自己実現ということばが、本家の... 続きをみる
古典のブログ記事
古典(ムラゴンブログ全体)-
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多くの古典は、生とは何かと問わない その前に、どう生きるかということに焦点を当てる ○ 多くの古典は、死とは何かと問わない 死を得るには、どうしたら良いかと問うているものである
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この絵には味があるとか、この文章には、味わいがあるといように、ほめ言葉として、よく使われるが、われわれは、知らぬ間に重要なことを語っているようである。 意味という、みんなが分かり切って使っている言葉があるが、では、抑も意味とは何かと問われれば、そのまま黙ってしまう人が大半であろう。これは、その字義... 続きをみる
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わたしの生活を振り返ってみると、高校生や浪人時代の時に読み、出会った数々の本が、その後の生活の抜き差しならない、わたしの軸になっていることを、強く思う。 中でも、特に感動したドストエフスキー、トルストイ、小林秀雄などの人の見方、物の考え方は深く、わたしの中に根を下ろし、今の歳になっても変わらなく持... 続きをみる
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わたしは、専門家という人は尊重している者だが、文芸や芸術においては、専門というものを信じられない人間である。その道のプロとは、昔言葉に過ぎないと言ったら言い過ぎかも知れないが、文芸を鑑賞するとき、どこに、専門センスが必要な文芸や芸術があるだろうかとかんがえてしまうのである。 素人とは言うが、現代の... 続きをみる
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美しい矛盾というものがある。人間存在の退っ引きならない必然性から、緊張感を持って発せられた矛盾は美しいものである。現代人は矛盾と言うだけで、すぐ不合理だとかとやかく言いたがる。嫌な時代になったものである。抑も、「矛盾」の出処が韓非子という人間不信の冷血漢であったことを知らないでいる。これでは、古典... 続きをみる
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華麗でよどみのない文体と、「才能の魔」とまで言われた異常な詩的才能とを合わせ持ち、当時の日本で圧倒的な存在感を誇った三島由紀夫の絶頂期の小説です。こんこんと尽きることを知らずあふれ出る豊かで彫りの深い詩的イマージュは、読む者をそのまま文学世界のただ中に引き入れます。柔軟で格調の高い文章は、最後まで... 続きをみる
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セゴビアという名ギタリストがいた。ある友達がその人のことを当然のごとく絶賛しているのを聞き、早速買って聴いてみたが、良さがさっぱり分からなかった。1930年代くらいの古い録音で、多分SP番からの復刻だろう、録音状態の悪さもあって、何がいいんだろうと思っていた。それに、演奏自体も取っ掛かりのない弾き... 続きをみる
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「ある朝、グレゴール・ザムザが何か気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見した。」なんの説明もない作品冒頭の文章です。作者カフカは、実生活では平凡な役人の人生を送りましたが、いつでも、どこでも、自分の内部は何故こんなに他の人間たちと違うのだろうという疑問... 続きをみる