Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 最初は分からない <クラシック音楽・古典>

セゴビアという名ギタリストがいた。ある友達がその人のことを当然のごとく絶賛しているのを聞き、早速買って聴いてみたが、良さがさっぱり分からなかった。1930年代くらいの古い録音で、多分SP番からの復刻だろう、録音状態の悪さもあって、何がいいんだろうと思っていた。それに、演奏自体も取っ掛かりのない弾き流しの演奏のように聞こえた。


それから、五年くらい経った頃だろうか、パソコンに入れて置いたのを、なんとなく聞き流していたときに、ハッとその魅力に気付き感動した。今では、もっともよく聞く演奏のひとつになっている。


ベートーヴェンも大学生の頃、買って聴き、後期のピアノソナタやカルテットは一部だけ除いて、最初は何か得体の知れない言語でも聴いているように聞こえ、少ない小遣いから折角大金を出した(当時1万5千円くらいだったと覚えている)のに、買って失敗したと思ったくらいである。


ベートーヴェンは後期だけでなく、初期の有名な作品18の6曲のカルテットも最初はまるで分からなかった。何がいいんだろうと首を捻ったくらいである。


グールドのバッハのヴァイオリンソナタやチェロソナタの演奏もそうだった。


芸術は、音楽だけではなかろうが、初見や初聴だけでは、どうしても分からないものがあるようである。


ある著名なクラシック音楽・古典なりが、自分には分からない、また、つまらなかったという言葉を聞くと、わたし自身はいつも心の中で、この人には辛抱というものが足りないなといつも思う。


「罪と罰」を中学生の時に読み、つまらなかったのでロシア文学全体をあれはつまらないものだと平然と批評して憚らない高校の国語教師に出会ったものだが、この人は決して文学に対する感受性の欠けた人ではなかった。読んだ時期がいけなかったのである。小学生の時に「罪と罰」を読んだという高校生にも出会ったものだが、これは完全に肥料の与えすぎであって、ただ読んだというだけで、なんにもならなかったようである。


芸術との出会いは、人物との出会いに似ている。こちらにある程度の用意がなければ、ただ、素通りされてしまうだけのもののようだ。