エッセイ きれぎれ草 12
美しい矛盾というものがある。人間存在の退っ引きならない必然性から、緊張感を持って発せられた矛盾は美しいものである。現代人は矛盾と言うだけで、すぐ不合理だとかとやかく言いたがる。嫌な時代になったものである。抑も、「矛盾」の出処が韓非子という人間不信の冷血漢であったことを知らないでいる。これでは、古典の中に横溢している矛盾する論の良さというものは分からないだろう。
〇
埴谷雄高は間違っているだろう
恐らく根本的に間違っているだろうが
それがどうしたというのだろう
不在のうえに不在を重ねることが何故
人間の生であってはならないのか
大きな輪を描いてその出発点に戻ること
宇宙もまたそうしたものではあるまいか
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