Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

現代詩 ゴッホ

Toshiharu

ここに人間がいる
オーヴェルの夏の空の下
大地の黄と空の青とが直に連続する
色調の緊張に抗し
裸心だけで立ち続ける奇妙な人間がいる


よくよく見れば
なんというボロ着を纏った
人生に踏みつけにされた男だろう


武骨な節だらけの手は
画筆より鶴嘴を握った方が
よく似合う


頑丈な真っ直ぐな腰は異様な忍耐力の
確かさを思わせるが
双肩はすでに健康な均衡を
失っている


麦畑がざわめく
男はもう驚きもしない
もっと驚くべき生を彼は
重ねてきたから


こんなに鋭いやさしい目は誰のため
誰のためでもない
自己は
男にとって限りなく超克されるために
そのためにあった


嵐の予兆は漠然とけれども残酷な
確かさで男に近付いてくる


真実の愛を証明する為にロウソクの火で
腕を焼いた


友情を失う哀しさに耐えかね
耳を切った


狂気は
男にとって痛切に意識されるべき
明瞭なしかも奇怪な精神の
敵であった


アルルの市民は団結して
男を
精神病院に放り込んだ


鍵のかけられた風呂場で
男は狂人たちと一緒に絶叫した


それでも
人間らしく生きるとはどういうことか


生きることの謎めいた疑わしさに
男は慄然とする


大地に
肉塊が裂けたような道が走る


それはどんな色か
どんな形を
与えなければならないのか


鴉がざわめきながら飛び立つ


自然は
全根源色をあげて男に襲いかかる


人生は生き尽くされた
ピストルの弾丸は急所を外れ
男は
獣の巣のように小さな自分の家に這って帰った


黒々とした夜
男は狭いベッドの上に横たわり
絶え間なくタバコを吸い
異様な無言の一夜を過ごした


運命は紛れようもなく一個の形をとった


この男には何も隠されてはいない
隠すべき何ものも
この男は持っていない


こんなに明るくまぶしい謎は
かつて誰に生きられたことがあったろうか


いや
この鋭敏な自己観察家に
笑われまい


男は言うだろう
私は人間らしく生きようと
そう思い
いつもそれはどういうことなのかと
問い続けながら生きてきた
それだけなのだ
私の生は失敗と不幸の
連続だったが・・ ・・
生き身を否定しなければ生きていけない
男とはなんとも皮肉なものだが
致し方がない
誰の運命にもそんなところがあるのではないか
私の場合はただその現れ方が極端だった
そういうことではなかったかと思う
だが
どうやら
君はあの人のことをすっかり忘れているようだ
あの人のことを


男はしずかに瞑目する
長い舞台の幕が下りるように
ああ
夜が明けようとしている


急報を受け
直ちに臨終の兄の元に
駆けつけた弟は
男の
最期の言葉を聞いた


さてテオ
もうそろそろ死ねそうだよ


星は燃え尽きた
観客は
台風が過ぎ去った後の物見高い見物人のように
男が去った後に現れた


死んだ男の残骸のような夥しい作品が
われわれには残された


わたしは茫然とその一つの作品の前に立ち止まる


自己超克の律動はうねるように
見る者をその渦中に置く


男は疾走する
まぶしい生命の残光を放ち

※ブログは固いですが、人間はやわらかい方です。