Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ アルルのゴッホ <人間の動物園>

ゴッホは、アルルでゴーギャンと共同生活を送っていたが、ゴッホは事件を起こし、結局、ゴーギャンとの共同生活は、それで、解消することとなる。


事件というのは、ゴーギャンの方から、もう共同生活は止めようと切り出され、悲しみに耐えかねたゴッホが、自分の右耳を切り、それをきれいに拭いて紙に包み、知り合いの売娼婦の元に送ったというものであった。


その事件の前に、ゴッホはその自分の耳を切ったナイフで、ゴーギャンを襲おうとしたようなのであるが、ゴーギャンは、ゴッホは自分を殺そうとしたとは、書いていない。ただ「わたしが、怖い目をして彼を見たら、彼は頭を下げてすごすごと引き下がった」という意味合いのことを書いているのみである。


耳を切ったという事件は、アルルの町中で噂の種となり、ゴッホの家は、物見高い連中たちに取り巻かれ、ゴッホが家の中で動くたびに、歓声が上がったという。


そこは、まさしく、人間の動物園だった。この鋭敏なたましいを持った人間通の目に、これら、あさましい好奇心を剥き出しにした人々が、どう映ったことであろうか。


ボッスという画家なら、その人間たちの醜い表情を余すことなく、克明に描いたことだろう。ゴッホは、だが、そんな人間たちには、まるで、興味を抱かなかったようである。


その後、ゴッホは、アルルの市民たちによって、精神病院に強制入院されることになる。そのときのゴッホの言葉、「アルルの市民たちが、一人の立場の弱い人間を、集団で糾弾したときは、まるで、眉間を割られるような思いだった。」


それから、その病院の中庭で、絵を描いていると、他の入院患者たちが、ゴッホに丁寧に話し掛けてきた。ゴッホは「礼儀も作法も心得ている点では、アルルの市民の比ではない。」と、書いている。アルルの市民についての記述は、ほとんどこれのみで、絵の主題にさえ、なっていない。


この精神力の塊のような男は、人間の本性などという、空漠たるものと戯れたことなど、一度もなかったようだ。彼は、いつもイエス・キリストという不可思議な人間のことで、頭がいっぱいで、その他のことについては、本当を言えば、皆、どうでもよいものであったのだろう。


もう、何十年も前の話になってしまうが、テレビで、ゴッホを実際にこの目で、見たという最後の生き証人の老婦人が、ゴッホについて語っているところを、報道していた。


この老婦人は、ゴッホのことを「醜い男でしたねえ。ええ、本当に、醜い男でした。」と、言っていた。


彼女は、あのときの、アルルの市民の一少女ではなかっただろうかと、わたしは想像をたくましくしたものだった。