ホロヴィッツ「スクリャービン」エチュードOp8作品No12
ホロヴィッツが分かるようになり、とても好きになった作曲家がスクリャービンであった。ホロヴィッツが分からなかった理由は他でもない。このピアニストが実に癖のない理想的なピアニストであることに由来していた。
ピアニストの模範といわれるほど、そのピアノを弾く姿勢から打鍵のタッチに至るまで、隙がまったくない。私心を全く廃して、作曲家や作品にそのまま入り込んで、個人的な恣意というものがまったくない。
そのことが、このピアニストを私にとって、分かり難いものにしていた。そのことに、不惑の年を過ぎた辺りから、ようやく気付いたのである。また、この人の本領は、実際に演奏会に行って聴かなければ、分からないとも言われていたが、その意味するところも、非常な録音技術のおかげで、分かるようになった。 ピアノの響きが、他のピアニストとは段違いの凄味を帯びているのである。
ところで、スクリャービンである。ニーチェに傾倒したのは良かったが、それから、神智学にのめり込んだという経歴が示す通り、自分から神秘主義を公言したこともあって、聴いてもあまり面白くないだろうと勝手に決めていた。
それが、ホロヴィッツのライブ録音で、エチュードOp8のNo12を聴いて驚嘆した。
ここに、預言者の身振りも構わず、激しく神を求める男がいる。それが、音楽による見事な劇となる。ホロヴィッツの演奏には、じつに鬼気迫るものがあって、聴く者の身体を、なにか巨大なものが通り過ぎていくような痛切な思いに駆られる。スタジオ録音盤もあるが、やはり、ライブ録音の方がホロヴィッツの本領が発揮されているように思える。
そうである。日本の言わばインテリたちの宗教に対する無意味な軽蔑や感情的な反感しか示さない態度に比べれば、スクリャービンの方がどれほど、神に対して真摯な態度をもっているか。異教徒の私にさえはっきりと感じられるのである。
スクリャービンのこの曲は、2分半ほどの短い曲だが、本当にエッセンスだけで出来上がった曲である。機会があれば、Youtubeでも 配信されているので、聴いて頂きたい演奏である。
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