Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 待合室のモーツァルト <ピアノ協奏曲20番>

クラシック音楽がよくかかる、ある病院の待合室で、モーツァルトが聞こえてきた。聞き耳を立てると、ピアノ協奏曲20番第2楽章ロマンスだった。


この曲は飽きるほど、聞いたものなのだが、モーツァルトの音楽で、飽きがくるということは、K525以外には絶対にないことなので、そのときの、待合室はほぼ満員の状態だったが、わたしのように、聞き耳を立てている人は居ないかと、見回したものだが、有名な曲だから、中には、きっと知っている人はいるだろうとは思ったが、さて、目が合う人はいない。たぶん、素知らぬ風を、しているだけなのだろうと、わたしのような酔狂な人間を、探すのは、諦めて、ともかく、音楽に聴き入ることにした。


若い頃は、この20番と、それから、同じく短調の24番がモーツァルトのピアノ協奏曲では、好みだったが、色々な経験を経てから、いまは22番と25番の方が気に入っいる。


そう言えば、学生時代に、21番のK467だけは、ケッフェル番号で言える友だちがいたなあ、あれは、ヒットした映画使われていたからな、と思い出したりして、聞いていた。


モーツァルトのピアノ協奏曲は、モーツァルトの中でも、名曲中の名曲が目白押しである。だが、こんな風に、誰が聞いているという訳でもないところで、鳴らされても、まったく違和感がないのは、じつに、モーツァルトならでは、というところだろう。


あの転調が来た。そうなのである。モーツァルトの転調は、転調するのが分かっていても、いつも、ドキッとする。


まるで、おだやかに会話を交わし合っている日だまりの集まりのひとときに、急に突風が吹いて来て、傘などがあおられて、持って行かれてしまい、どうなることやらと思っていると、気の利いたボーイたちが、さっと傘を取り戻し、また、風に持って行かれた帽子も、すばやく、拾い上げて、何事もなかったかのように、また、元通りに戻され、人々は、再び、会話を楽しみ始める。


比喩として、語ると、いや、モーツァルトの音楽は比喩でしか、語れない音楽だと、わたしは思っている者だが、こんな案配になる楽章だと、聴いて感じる。


他に、ベートーヴェンやショパンのピアノ曲などが聞こえてきたが、なによりもやはり、モーツァルトのK466の第2楽章だった。