エッセイ きれぎれ草 29 <金、人生、学問>
人生をある観念で単純化するのは容易い。例えば、「金はすべて」「世界は共産化すべき」「世界の民主化」
そうした人々は、金に酔い。理に酔うたのである。
○
生活の諸問題は、金でほとんど解決する。その通りである。その代わり、人生の諸問題は、まるで手付かずのままである。
○
生活に困窮している人々の多くは、人生に興味を失ってしまったか、また、人生を単純にギャンブル化して、失敗し、ドロップアウトした人々であることがほとんどである。日々の労働が彼らにもっとも欠けていることである。
○
また、すぐに結果を欲しがる人は、現代の世相に酔った人であることも、付け加えて置かなければ嘘であろう。
○
人生の意味とは、人生の諸問題が深まれば深まるほど、複雑となり、同時に、生き生きとした、その裸の姿が顕れてくるということに他ならない。人生に、夢が必要であるのも、その理由に拠る。
○
人生を単層化するのに、何の精神的な諸力を必要としようか。
○
金に酔う人は、一つ大事なことを忘れている。金はどこまで行っても数字であり、人生そのものとは成り得ないという簡明な真理である。
○
あの人は、これだけの財を残した。世間は喝采するだろうが、わたしは「それで、その人の人生は」と問うことだろう。
○
理に酔う人も、また同断である。理は数字と同じく、ものそのものを決して表さない。ものとものとの関係如何を表すに留まる。従って、「世界の共産化」「世界の社会主義化」「世界の民主化」は、行動しか誘発しない。
○
ものそのものに至り、こころの安らぎを得るのが、悟りの道であり、学問の王道である。
○
真の行動は、そこからしか生まれない。ほとんど行動しているかどうか、分からぬほどの行動である。というのは、そうした人は、周囲に甚だしい影響を与えずにには、居ないからである。
○
一挙手一投足に、そういう人は意味を持たざるを得ない。一つの身振り、一つの眼差し、及び、沈黙。
ただ、一つのことによって、じつの多くのことを語る。
○
もう、良かろう。
わたしは、至極当たり前なことを、書いたに過ぎない。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。