エッセイ 江戸時代の塾 <一つの夢>
以前にも、江戸時代の記事で触れたが、日本の江戸時代には、じつに目を見張るようなものがある。
その一つが、塾である。家康は、国教として儒教を選んだのだが、神君と呼ばれるだけあって、この選択は非常な慧眼以上のものがあると言って良いだろう。
平和な時代の教えとして、これに勝る教えはないと、とてもするどい直感が働いていたように思われてならない。この一人の男に拠る選択が、中江藤樹を生み、伊藤仁斎、荻生徂徠などの名だたる儒者を生み、明治期に橋渡しする、傑物たちを生んだのである。
それはそれとして、わたしが、江戸時代がすごいと思うのは、塾で何が話されていたかということで、彼らは、人の生きる道をこれでもかと言うくらい、問いに問うたのである。
これは、古代ギリシアで、ソクラテスがアテネの道端でやっていたことである。江戸時代では、それが儒者として、職業として成り立っていたということが、まず、驚きなのである。
ご承知のように、儒教は宗教ではない。絶対者となるようなものを、置かない。その点から言えば、ギリシアの哲学者たちより、自由な気風だったと見て良いかもしれないくらいである。スタンダード・テキストは、「論語」であった。これも、考えようによっては、じつに幸運なことだったように思われる。学問が学問として、逸脱してしまう心配がなかったからである。
わたしには、一つ夢があるのだが、それは、そういう人の生きる道を問う塾というものを、やってみたいのである。これは、昔からのわたしの夢なのだが、果たして叶うかどうか、現代的状況は、新興宗教ばかりを欲しているように思われてならないのだが。
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