Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 内田光子のモーツァルト 4 <K545>

内田光子さんには、申し訳ないが、このモーツァルトの子供用の練習曲としてよく弾かれるピアノ・ソナタを、内田さんので初めて聴いたとき、思わず、笑ってしまったことがある。


その時は、内田さんについてよく知らず、国際的な評価を得ている日本を代表するモーツァルト弾きのピアニストであることは、後になって、ようやく知ったということを、断って置きたい。


笑ってしまったというのは、ここで、内田さんは日本中、いや世界中のピアノを弾く子どもたちの模範となるべきK545を弾かなければならないという、非常な使命感の下に、この曲を弾いていることを、直接に感じ、これは想像になるが、おそらく内田さんは、このK545を弾いた後で、じつに大きく吐息を吐いたことだろうということまで、浮かんで来たからである。


この言わば、モーツァルトの残したもっとも単純かと思われる、ピアノ・ソナタの小品を、これほどきちんとすみずみまで、じつに正確極まりなく、しかも、凜として、背後に異常なと思われるような緊張感に満ちているK545の演奏は、他のピアニストでも、ついぞ、聴いたことがなかったからである。これは、いかにも、日本人らしいモーツァルトに対する態度だと気づき、そこで、笑ってしまったのである。いや、申し訳ない次第であった。


その前に、グルダの自由闊達で、奔放自在なK545を聴いていたことも、手伝っていたかも知れない。グルダは、おそらく子どもの時、何回となく弾かされたであろうこの曲を、自在に弾き崩し、それまでのクラシック界では、禁忌とされていた装飾音をふんだんに散りばめ、じつに楽しい、子どもが小躍りするようなK545にしていたからである。


内田さんのK545を聴くと、グルダのが聴きたくなる。わたしはいつの間にか、そうした聴き方の癖が、身に付いてしまった。モーツァルトの本国生まれのピアニストと、我が日本を代表するピアニストとの違いが、鮮明に映ずるからである。


以上の聴き方は、あくまで、わたし個人の聴き方であることを、念を押して、断って置きたいと思う。わたしとしては、今は、どちらも捨て難い、貴重なモーツァルトの小品のピアノ演奏なのである。