Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 河合隼雄という人 <円熟について>

河合隼雄の文章は好きで、ほぼ全集を読んだが、この人の文章は、どうも壮年期のものが良いように思う。筆頭に挙げられるべき本は「明恵、夢を生きる」であろうか。


晩年になり、文学者のように「文体」というものを気にするようになると、不思議なことに、文章に生彩が感じられなくなる。壮年期の「とりかへばや、男と女」と晩年の「紫マンダラ」では、前者の方がずいぶん出来が良いようである。


河合隼雄は、ユング派の心理療法家だったが、ユングがそうだったように晩年になってから、優れた著作を書くタイプとは異なっていたようだ。


河合隼雄は、凡そどのような分野の人とでも、しっかりとした「対話」ができた人で、「河合隼雄とその多様な世界」と題した本があるくらいで、オールラウンダーだったと言える。


全集を総覧した感想なのだが、この人からは、ある特定の人格の核となるような、いわば、骨格を感じられなかったことを強く思った。まるで、荘子のいわゆる「真人」の思想を具現化したような人だったと言っていいが、遂に、晩年になってから円熟味を増す老成型の人ではなく、壮年期に力を発揮する人だったようである。


有名な「こころの処方箋」の中に、進歩についていけない人は、人としてどうであろうかというような文章が見えるが、ここは、河合隼雄の文章の中でも、わたしのもっとも反発した箇所であった。


進歩と円熟とは、どうしても鋭く相反する概念で、進歩しつつも円熟するというのは、どうしてもできない相談であるようだ。


現代のような気忙しい世の中で、円熟を願うのは愚かであろうか。けれども、わたしは根がバカだから、なんとか円熟というものをしてみたいと思っているのである。