Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ きれぎれ草 112 <理系、文系など>

理系文系という人間のタイプの分け方は、日本独自の分け方だそうだが、何故また、そうなるのか、よくかんがえて見たいところである


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前の記事にも、触れたのだが、この分け方は、その当時の日本社会の要請に拠ったものである。それが、今に至るまでも有効であるということは、日本社会がまだ、そうした人間のタイプを必要としていると見た方が、正確だろう


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文系の人間で、変わり者なのは、まだ、理解の範囲内であるが、理系の人間で、変わり者なのは、理解不能なところがある


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こう言えるかも知れない。日本人は、例えば、鋳物のようにどのようなタイプにも、成り得るし、また、それに耐えうるような柔軟性を持っているが、一度、その型にはまり、焼き上げられてしまうと、もう、元には戻れないと、むずかしい言い方を、赦して貰えれば、人間のタイプについては、不可逆的な可塑性を持っていると


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理系の、特に、職人気質の人は、仕事は良くできて優秀だが、性格は一刻そのもので、自分が納得しない限り、梃子でも動かないようなところがある。そして、その頑固なところは、あまり、金銭に関係しないことであるのが、常である


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この日本人的な性格は、とても貴重なもので、ITやAI社会の現在でも、十分に通用する人間のタイプである


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もう一つの人間のタイプとして、前の記事でも、体育系を上げたのだが、体育系として、体育会系としなかったのには、理由がある。体育会系とは、ある団体の中での、タイプということになるからである


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ただ、少し残念なのは、体育系の人は、観念的に洗練されていないことが多分にあって、たとえば、ある政治思想なり、あるいは新興宗教などに、容易く嵌ってしまうようなところがある


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スポーツで身を立てているような人は、どうしても、どこかで、精神的な支えとなるような人を必要とするもので、その支えとなる人が一廉の人なら問題ないのだが、そうでない場合は、はっきりと危うい


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ただ、最近は、理系文系の人にも、精神的な支えが、必要な人が多いように見受けられるようだが