Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 小林秀雄と吉田秀和 <演奏家で十分です>

両者とも、評論家と言われていた人だが、小林秀雄は文芸評論家、吉田秀和は音楽評論家として名高い人物である。


どちらの人を取るか、と、言われれば、わたしの中ではもう決まってはいるのだが、少し、この二人のことについて、述べてみたい。


小林の「モオツァルト」はつとに有名だが、吉田秀和が若かった頃、やはり、この評論を読み、自分も音楽評論というものを書きたいと思うようになったという、吉田にとっては、画期となった本である。


そうして、その上で、吉田が思ったのは、小林よりも自分の方が、格段に音楽的教養については、上である、もっと、色々な事が書ける筈だ、ということであった。


吉田は、何も小林を軽んじていたわけではない。小林の「モオツァルト」を讃仰する文章まで、書いていることでも、分かる。


それに、二人とも鎌倉文士で、晩年になると家さえ近所同士である。


それが、その晩年になってから、二人は仲違いしてしまった。ただ、仲違いとダイレクトに言ってしまって良いのかどうか、微妙なところがミソなのだが。


というのも、かなり以前の話だが、小林が亡くなったとき、吉田はどの追悼号の雑誌にも、追悼文を寄せていなかった。つまり、書かなかったのである。その代わり、バーバラ・吉田(吉田の奥さんの名前を、このとき初めて知った)さんが、文章を寄せていた。


わたしは、不思議でしょうがなかった。その後で、色々と、憶測らしき文章が現れたりも、したものだが、わたしには憶測など、どうでも良かった。吉田さん自身の文章や口から、小林のことを、聞きたいと思っていた。


それで、その吉田さんが何かの折りに、小林が「演奏家で充分です」と言っていたという文章に出会い、色々と考えさせられることになったのである。


※かなり、長くなってしまった、また、続けます。