Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

閑話休題 カセットテープのこと <中高校生時代>

カセットテープやラジカセが、廉価となり、私でも扱えるようなものになったのは、中学校時代からだと覚えている。


わたしが聞いていたのは、クラシック音楽ではなく、ビートルズやボブ・ディランやその周辺の音楽だった。その頃の、中学生同様、邦楽はまるで振るわない時代であって、邦楽は聞かなかったが、皆と違ったのは、歌謡曲はどれも聴く気が起こらず、兄の影響もあって、序で、に日本のフォークを聞いていたが、これはとてもマイナーな音楽であった。


ビートルズは、深夜のラジオ放送で全曲を流していた時代で、それをエアチェックして、飽きずに何度も聞いたものだったが、今は、まるでこちらから聴く気にはなれない。


ボブ・ディランは、今でも聞くが、これは人間関係の音楽と漂泊の音楽との、違いのためだろうと、今では、思っている。人間関係の音楽とは、もちろん、ビートルズのことである。


ただ、そのビートルズが、どこからか聞こえてくると、当時とはまるで違った、特に楽器などの伴奏音が、しっかりと聞こえてきて、わたしの持っていたカセットテープが如何に粗末な音しか鳴らさないものだったかが、分かるのである。けれども、もう、それで、感動などはしない。その本質は、もう、分かったつもりだからである。


高校生になると、ロックに熱中し、殊に、ピンク・フロイドというロックグループを好んで聞いていたものであるが、よくよく、振り返ると、中学時代には、ベートーヴェンの「第九」や「第七」、「月光」などはエアチェックして、よく聴いていたものである。


特別に、「第九」には、困惑する思い出がある。中学生の時、学校の音楽の女の先生から、「せめて、ベートーヴェンの第九の合唱くらいは.聞いて置いてね」と言われたのが、きっかけとなったのだが、エアチェックには、ほとほと、参ったものである。


まず、その曲の長大さである。当時は両面で90分録音できるカセットが主流であったが、それでは、曲を切らずに録音できない。120分もあったが、同じ理由で、収まらない。


それに、カセットは前後にクリーニング用の録音できないテープが仕組まれていて、曲を分断することになるのは、必至である。


そこで、考えたのは、第1、第2楽章を無視して、第3、第4楽章だけを録音するという方法であった。これなら、90分テープの片面に収まる。後から、振り返ってみて、なんと間抜けな、ベートーベーヴェンという作曲家を無視した方法であったかと、慚愧の思いに駆られる。


それでも、その第3、第4楽章だけの「第九」は、とてもよく聞いたものであった。そうして、第1、第2楽章も良いのではないかと、何年かしてから心付いた。けれども、そのときもまた失態を演じてしまった。このテープは、録音が悪く、再度聞けないというテープを使ってしまったのである。そのテープは、じつは、見るからに性能の良さそうな外見をしていて、有名なメーカー製だし奇跡が起こるのではいかと、使ったのだが、これが後で聞こうとしても、まるでダメだった。


少し、最初だけを聞いた印象は、いや、これはとても良いという印象だったので、上記のことをとても悔やんだものだった。


ただ、当時、カセットテープは高価で、自分の自由になるカセットは限られていたし、エアチェックするときは、今まで、愛聴してきて、もう聞かないし、これはもうそろそろ飽きるに違いないというカセットテープを、無理に選んで、身を切る思いでエアチェックしたものである。


それで、「第九」の第1楽章の出だしだが、よくよく聞く前に、吉田秀和さんの文章を読んでしまった。このことは、未だに悔やんでいることである。わたし自身はどう思うかとなると、まず、吉田さんの名解説が浮かんでしまうのである。


今でも、ある程度、カセットテープは持っていて、いつかは、ラジカセを買おうと思っています。日本は、また、凄い国でちゃんと家電量販店においてある所がすばらしい。