エッセイ 新しいアイディアというもの
前回の記事の補足なのだが、新しいアイディアというものは、受け入れられのに、まず、旧来の考え方から批判されるというのは、やはり、本当の事のようである。
人々の考えの覆いを取り払うということ、つまり既成観念を取り除くというのは、人が考えているより、ずっと厄介なことのようである。
例は、わたしが前回書いた記事で、十分なように思えると言ったら、言い過ぎだろうか。
パソコンのキーボード上のアルファベット、又、かなの配列が不合理極まりないという単純至極な事実を、人々は認めたらない。前に、言った通り、既成観念とはおそろしい働きをするものである。(ただ、カナの配列については、わたしは触れなかったのだが。)
携帯やスマホなどのコンパクトな画面では、すでに片手で文字入力を早打ちする技術が確立している。その操作法を、パソコンのあの大きなキーボード上で、実現できないわけがないではなかろうか。
何が邪魔をしているかと言えば、既成観念しか思い当たらない。新しいアイディアというのは、人々に受け入れられるのに、どうしても、時間が掛かるものなのだろう。
思えば、不思議なことである。思い付いた本人としては、これほど、単純明快なものもないだろうと思えるものなのにである。
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