Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 源氏物語考

源氏物語を読み返している。以前、読んで分からなかったことが、次第に鮮明になってきた。以前の読書はいささか読み方が幼稚だったようである。


およそ、物語の主人公で、これほど作者に、本当に愛された登場人物も他にいまい。そこには、贔屓の引き倒し以上のものがある。太陽光と同等と言っていいような直線過ぎる愛情である。この異様とも言える愛の注ぎ方は、物語の世界でのみ成立する愛であろう。


わたしは光源氏は、竹取物語のかぐや姫が、男に成り代わって、物語の上で顕現したものだと思っているが、源氏を直接、竹取物語から生まれたものとする論は、管見だがまだ見たことがない。醍醐天皇を歴史的根拠とする説はあいまいな論のような気がしてならない。


奔出して止まないおびただしいメタファーと、それをすばやく的確に読み取るするどい感覚や嗅覚は、源氏に馴れない人には、たしかに、訳が分からないものとして映るだろう。


そのメタファーの大海にどっぷりと浸かって、異様な光を放っているのが、他ならぬ光源氏その人である。信長に似て、その内面を推し量ろうとすると、異常な暗さに直面する。信長は生身の人間だが、源氏は、あやしいこと極まりない物語上の人物である。


源氏の人間としての分からなさは、不思議なほど、信長という謎めいた人格の影のようなものを感じさせる。合理精神の権化のような男と対照な不合理な影である。


ともあれ、わたしは式部は、「わたしが(女が)無限に愛し得る男」を書きたかったのではないかと思っている。その異様な祈念のこれしかないという具象化、それが、あのこの世ならぬ徳を具備した光源氏となった、そんな風にかんがえる。