エッセイ 感想「20代女性の自殺の増加」
以前、日本人の女性の平均寿命が下がったというニュースを見て、興味が湧いた。それで、その原因を調べてみると、20代の女性の自殺が一番だという記事を見て、NHKに寄せられている自殺願望の女性たちの投稿を色々と読んでみたことがある。
すぐに感じたのは、こうした彼女たちの要求に応えられるのは、超人的な、いや神のような男だけであるということだった。
彼女たちが、元々、無理な注文を押し通そうとしているのは、心理学の初歩を学んだ者なら、直ちに理解できることだろうとも思った。
誤解を怖れずに言えば、彼女たちに欠けているのは、親しい理解者ではなく、信仰心である。
先ほど、神のような男と書いたが、これを単なる比喩と取ってもらいたくない。あまりにも身近な神を欲する人間が、もっとも信仰心に欠けた人間であることを、現代人は忘れ去ってしまっているのではなかろうか。
オーム事件を思い出してもらいたい。何故、信者たちは麻原を神以上の唯一無二の存在に仕立て上げねばならなかったか。自分のすぐ傍らにそういう人間がいることを全力で欲したのである。
そうした人間たちは、本当はもっとも信仰心の薄い人間であることを、どうしたわけでみんな言わないのだろうかと思う。本当の信仰心を持っている人間が、どうして、あのような非道な行為に荷担することができたろうか。
現代は、混乱した状況さえも、もう混乱とは考えなくなっている不思議な時代である。
宗教もまったく例外ではない。不信心家が、いっぱしの宗教家面をして、誰も怪しまない。自分の生活を賭けていますからと彼らは言う。現代において、自分一人の心と生活を賭けることくらいなんの造作がいるだろうか。彼らは単なる民主主義的な集団の数のひとつの単位にすぎない。信者数が大きくなればなるほど、それは確かなものだと盲信している。彼らの心根にまったく宗教とはかけ離れた心理的な計算を見出すのは、易々たることではなかろうか。
それで、20代の若い女性たちである。彼女たちは、寝ようともがく人が眠れないように傍らの人を信じようとするから信じられない。相手は神のような存在でなければならなくなる。これは、心理上の病的なからくりである。
素直な心が感じる神仏というものを、彼女たちは忘れ去ってしまっている。自分の胸で感じているかすかな信仰心を、頭で解決しようとしてメチャメチャにしてしまっているように思われて仕方がない。
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