エッセイ 冬の景色 <信という火>
今、現代人で心の中に、荒涼とした冬の景色を感じていない人はいないだろう。これは、子どもでさえそうである。胸にポッカリと空いた穴と言っても、いずれ文学的表現なので、同じことだが。
ともかく、一種、異様な光景であることは間違いない。誰もが、不安で孤独な心を持て余してしまっている。
現代人の心は病んでいると言われるが、本当に病んでいるのなら、自分が病んでいるということさえ分からなくなった状態だろう。自分は病んでいるという認識の力は、決して病んではいないのだから。
問題なのは、冬や穴こそが現代の盲点なのであり、そこに異常な目方の掛かった時代であるということである。
時代は、常にその盲点を持つ。この盲点を持つということが大事なのであって、決して消し去ることができるものではない。
一時代前、美しい田園風景の中には、常に、糞尿の溜め池があったように。現代は、それを技術で隠しているに過ぎない。
時代が変わっても、人間の心の構造は変わらない。人間の心を温めるのは常に信の火である。だが、この単純な事実も、現代人は余計な自己との戯れによって、見えなくなってしまっているように思えてならないのだが。
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