エッセイ 個性と自我確立 <欧米人の誤解>
人物と呼ばれるような人は、ほぼ例外なく、個性的なものである。これは、どの国のどの人物にも言えることで、洋の東西の別はない。それで、欧米人を見ていて、不思議に思うのは、彼らの考えでは、自我確立することと個性の強さとを、どうも、一緒のものだと見做しているところである。
結論から、先に言えば、個性の強さと自我の強さとは、ほとんど関係などない。ユングの著作には「個性化」ということばが見えるが、ユング自身は、どうも、自我確立と個性の確立は、欧米人らしく、同様のものだと思っていたように見受けられる。
個性が強く自我が強い人も、もちろんいるが、個性はさして強くないのに、自我が強い人という人も見受ける。また、日本人で一番多いのが、個性は強いが、自我がさして強くない人である。もちろんのこと、個性も自我も強くない人もいる。
欧米人は、どうも、誰も彼もが人物と呼ばれるような人になりたいと、願う人が多いようで、それで、自我の確立というものを、個性の強さと、どうも、同様のものとしていたように思えて仕方がないのである。
欧米人は、自我は、なるほど強いが、一体この人の個性はどこにあるのかと、首を傾げるような人にも、多く出会すのである。
マッカーサーは、日本人の平均精神年齢は、13才ほどだと言ったそうだが、彼には、日本人の姿というものが、まるで見えていなかったということが、そのことばで分かる。
素手で、日本人と触れることができなかった人が、戦後期の日本を統治したGHQの総帥だったのである。残念なことであった。
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