Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 完成ということ <兼好のことば>

インカ帝国やローマ帝国、またエジプト文明などは、石造技術については、驚くほど優れた技術を持っていたことについては、皆さん、ご存じの通りである。


わたしは、そのことについて、少し別の角度からかんがえてみたいのだが。この技術は概ね社会のインフラに集中された。インカなどは鋭角に切り取られた石さえ自在に使いながら、きれいな長方形の壁を無数に築造している。


これは、よほど、石について高度な技術が共有されていたと見るべきで、少数の天才的な技術者たちによる事業とは、考えにくい。技術を考え出したのは、少数の人々だったかも知れないが、それが、ある程度の技術を持った人々にも扱えるほど、当たり前なものになっていなくては、あの壮大極まりない遺跡は出来上がらなかったであろうと、わたしは推察するのだが、さて、どうであろうか。


それで、先に言った、別の角度からという話だが、インカの遺跡やローマの遺構などは(この場合はエジプトは王墓の遺跡として除くが。)、後世のメンテナンスさえ不要なほど、完璧に仕上がっていて、インカでは水道さえ、今でも、しっかりと生きていて、そのまま使えるくらいである。


それなのに、インカ帝国があったその地では、今では、誰も、そこで暮らそうとはしないのである。


文明は、特に、そのインフラというものが、あまりにも、技術的に完成されてしまうと、誰も、そこに住もうとしなくなるという、パラドキシカルな性質を、常に、持っているものだということを、念頭に置いておく必要が、あるのだろう。


ただ、こういうことについては、わたしがまだ未読なだけで、もう、そうかんがえている人が、居そうな気がしてならないが。


そうである、兼好のことばにもこうある。「すべて、細工はし残したるを、さてうち置きたるは、おもしろく生き延ぶるわざなり。」


わたしは、兼好のかんがえを、ただ、現代風に言ってみただけのようである。