Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 感動ということ <17、8才のころ>

17才は、危うい年齢である。現在、当の年齢の高校生は、しずかなものなのだが、一昔まえは、17才限定で、暴れた時代があったものである。そのときの川柳で「ぼくは今十七だよと父に言い」というのがあった。17才というのが、父親に対する脅し文句だったのである。


また、どうなったか姿を見かけなくなったが、「セブンティーン」という雑誌もあったものであるし、先日、亡くなった大江健三郎さんにも「セブンティーン」という小説があった。


それで、自分の17才の頃を振り返ってみると、この年辺りに、自分のその後の人生を決定付けるような数々の本や音楽に出会っていたことを、よく思い出す。


本では、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」と「罪と罰」、またトルストイの「戦争と平和」、それから、小林秀雄の主著。音楽では、モーツァルトの「ジュピター」。


自分の人生を決定付け、強烈な感動を与えてくれたこれらの芸術作品は、その当時の危なっかしいわたしの精神状態をも、立ち直らせてくれたものであったことを、同時に思い起こすのである。


本当に感動したとき、人は一つになる。そして、その感動した自分は、そのまま、パーフェクトなものである。


本を読むとき、人はひとりきりであるものだが、決して、自分一人だけというものではない。本を書いたその作者と、こころを分かち合いながら、読んでいるものである。そうして、よくよくかんがええてみると、他人の話を聞くときよりも、もっとより良く、自分のこころを開いた状態で、読んでいるもので、音楽を聴いているときや、絵を鑑賞しているときも、あまりこれと変わらない。映画となると、少し違うようであるが。


ただ、そうした折角の読書や音楽の鑑賞も、台無しになるときがある。初めから、成心を持って読んでしまったり、聴いてしまったりするときである。


義務感で、本を読んだり、音楽を聴いてしまうのが、どうやら一番いけないようなのだが、けれども、これは人との出会いに似て、こちらがそれなりの準備が出来ていない状態では、どうも、しようがないもののようである。


それはそれとして、17才辺りの頃は、やはり、人間としてもっとも感受性が高く、まっさらで、もっとも求道的である時期のようである。


この時期に、色々な意味で、良い出会いがあった人は、やはり、幸運と言って良いのであろう。