Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 刀狩令考 <破格の常識>

秀吉による刀狩令は、有名だが、わたしはこの破格の政令は秀吉の治世下でしか、できなかったものだと、思っている。


秀吉は、戦国の世ではめずらしく、できるだけ人を殺さなかった武将で、また、合戦はあまり得意ではなく、どちらかと言うと小田原攻めでも見られるように、知略をこととした戦術家で、あった。


信長が、残酷なところを持っていることは、よく、知られていただろうし、家康は、弓をよくし、武術は秀でていた。


では、秀吉は、と言うと、武の方はこれと入った取り柄がないが、知略と人柄では、他の英傑たちから抜きん出ていたと、わたしは、見る。


信長は、戦国の世に、先鞭を付けた独創家で、家康は手堅い大整理家であったと思うが、この二人に押されて、どうも、秀吉は分が悪いような気味が、ある。


「信長」という名著を書いた秋山駿さんという人は、ほとんど、秀吉を認めていないようなことを書かれていたが、わたしは、秀吉はそんな人間ではないと、思っている。


伊達政宗とはじめて謁見したとき、秀吉は、刀を政宗に持たせ、自分は丸腰で政宗と話しているが、こうした大度は、信長にも家康にも見られないものである。


秀吉は「人たらし」と、よく言われるが、その由縁は、自分自身の赤心を、相手の心の真ん中に置くという、離れ業であって、秀吉という大人格がものをいう、真似事をすれば、命がすぐにでも危うくなるというような、とんでもない芸当である。時は、油断も隙もない戦国の世であって、その時代にこうした人心掌握術を選んだ武将は、他に一人も居はしない。


よく、言及される、秀頼かわいさに、城中の女房どもにおくった手紙などが云々されるが、秀吉の大度を、人間的な甘さと勘違いした、女房どもの悪ふざけが原因だと、わたしは見ている。ただ、利休のことだけは、この大人物の唯一の瑕瑾のように思えは、するが。


世間は、こうした時の人物たちの行いを、具に、 目を見張るように、見ているものである。


秀吉が、刀狩令という歴史上類を見ない、政令を出した、人々はさまざまな憶測をしたであろうし、農民に戦いを起こさせないためだという今風の見方も、当然、あったであろう。


だが、秀吉の日頃の行いが、ものを言った。特に、政宗との謁見の有り様は、秀吉ならではの武勇伝として、語り継がれていたことであろう。


刀狩令は成功し、人殺しの武器を持たないことこそ、安心安全を得る道だという、世界的に見ても、破格の常識が広まった。


この一例を取り上げただけでも、秀吉が、後世に残した功績は、計り知れないものがあると、思う。