エッセイ きれぎれ草 108 <日本仏教 法華経>
叡山で、智慧第一と称された法然が念仏を護持し、自らを、頑愚とした日蓮が題目を第一とした
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当時、仏教は単なる思想ではなく、人々の生き方そのものであったことを、念頭に置いておかなければならない
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天皇を神格化としたとされる「神皇正統記」は、日本の思想に拠ったものでなく、仏教を根拠とした思想的歴史書であることを、知らない人が多い
「神皇正統記」でもっともうつくしく描かれているのは、仏教を護持した聖徳太子である
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念仏は後生の救いのためであり、法華経は天台智顗が顕彰したとおり、大乗経第一の経典である
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法然の時代は、戦乱が止まなかったときであり、日蓮の時代は、天災が多かったとはいえ、それでも、ある安定を見た時代である
仏教も、時代相というものを、よくよくかんがえなければならないものである
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念仏と題目、わたしには、それは法華経の題目を中心軸として、念仏がその周りを惑星のように回っているもののように、見える
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