エッセイ 創造と批判
人というものを、広く見渡してみて、先ず思うのは、普通の俗な人々がいかに多いかということである。
現今の社会は、やたらと創造性を発揮せよとか、独創を重んじるとかいうのだが、さて、普通の人にそうしろと言ってみたところで、創造性も何もなく、生活態度も知識も知恵も、何も変わり映えもせず、旧態依然そのままであるということが、圧倒的に多いものである。
では、そういう掛け声の下、創造性を持たない人はどうするかというと、批判者になるという逃げ道がある。批判とは、そのままでは受け入れられず、すでにあるものを壊すことであるから、批判は創造の塩となるので、少なくとも、創造するという振りは、できる。
創造とは、思想的建築とか、芸術的建築とか、詩的建築とか建造物はさまざまであるが、一個の何でもよいが、建築物が建つことである
その建築物について、ああだこうだと意見を言う人はゴマンといるが、さて、それでは、自分でそれを実際に作ってみるという人は、まことに少ないものである。その代わり、批評家は数限りなくいる。
トルストイは、こういうことを言っている。批評家とは、賢そうなことを言うバカのことであると。
賢そうなことを言うバカより、バカの振りをする賢者の方が、ずっと、信頼が置けよう。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。