エッセイ 音楽における性 <両性具有>
モーツァルトの音楽は、極めて高い次元での両性具有が達成されている。しかも、官能性さえ損なわれていない。両性具有は、ハイドンの音楽でも共通の性格なのだが、人々を引きつけ、思わず一緒に歌いたくなるような繊細さや官能の点においてもう一つ欠ける。
仏像の形姿も男でも女でもない。やはり、両性具有である。ここで、断っておきたいが、両性具有は中性や無性のような中途半端な性の在り方ではなく、両者がなんの妥協も矛盾もなく、和した状態である。 ランゲの書いたモーツァルトの肖像画が傑作であるのは、やはり、そういうところに求められるように思う。モーツァルトは顔にしてからが、男か女か分からぬような顔をしている。
ベートーヴェンは、後期になると東洋的に枯れる。これは、ヨーロッパ文化の中では、類を他に求めがたいほど、異例中の異例である。枯れるとは、性が無意味になるのではなく、性が熟し、遠のくのである。
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