エッセイ ショパン 舟歌 <リパッティ>
かなり以前の記事でも、触れたのだが、リパッティという早逝したピアニストがいたのだが、この人の演奏は、グールドやグルダ、ミケランジェリ、ホロヴィッツと同じくらい、または、それ以上によく聴いている。
この人は、コルトーというピアニストがショパン・コンクールの審査員だったとき、リパッティを第一位に推したのだが、第二位となってしまい、この男のピアノを認めないとはと、憤慨したコルトーは、審査員から下りるという事態さえ、引き起こしたピアニストである。
写真を見ると、顔はとても男前だが、両腕はプロレスラーのようにがっしりとしていて、どんな曲でも、ゆとりを持って弾きこなしてくれそうな頼もしさを、感じる。
実際、リパッティの残した演奏は、CDで僅か五枚ほどなのだが、バッハ、モーツァルト、スカルラッティ、ショパン、ブラームス、シューマン、グリーグなどなど、そのどれもが、どの名ピアニストにも、まったく引けを取らない、どれも絶品と言って良い演奏なのである。これほど、早逝したのが実に惜しまれるピアニストも、他にいない。
特に、上掲したショパンの舟歌などは、録音状態は決して良くなく、むしろ、雑音がところどころで際立ってしまうような、杜撰な録音なのだが、どのピアニストでも聞けないような、言わば、ショパンが真に目指していた、音なき音が聞こえてくるといった、驚くべき名演なのである。
吉田秀和さんは、このショパンの舟歌自体をあまり買っていなかったようで、楽曲としては、専門家から言わせるとそうなのだろうが、シューベルトの未完成を通俗名曲と、切り捨てるようなところにも、よく表れているのだが、秀和さんのどうしても譲れない流儀なのだろうと思う。
だが、このリパッティという人は、決して目立たない人なのだが、とんでもなく素晴らしいピアニストだったことは、よくよく覚えておいておきたいものである。一番、痛恨なのは、ベートーヴェンの録音を一曲も残していなかったことだろう。実際、この人の演奏でop.111を聴いてみたかったものである。
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