エッセイ ある女流作家の言葉
名前は忘れたが、わたしの心の中で、良く思い出されるある女流作家の言葉がある。
「自分は、モーツァルトやベートーヴェンになれるような才能はない。だから、作家なんていう商売は辞めて、人生を楽しもうと決めたのだ。」と
人が自分で決めた人生のことだから、とやかくいう義理はないのだが、この言葉を聞いて何か釈然としないものを感じた。作家として成功した人間の何か嫌な感じのする自負心をこの言葉に嗅ぎ分けたからである。
比較として持ち出された人間が、ほとんど千年に一人出れば良いくらいの天才だったことにも拠る。では、ブラームスやシューマンやショパンはどうなるのか。彼らは絶対に越えられない与件として彼らを仰ぎ見ながら、それでも同じ音楽という土俵で努力して後世に残る音楽を作ってきた人たちである。
わたしは、ブラームスの音楽も大好きである。特に、ピアノ協奏曲は1、2番やヴァイオリン協奏曲はベートーヴェンのそれと並ぶくらいのものである。
また、よくグリーグのことを「北欧のシューマン」とだけ評して、平然としている音楽批評家がいるが、わたしはそういう言葉を聞くと閉口する。その批評家自体が後世に残る何ほどのものを残したのだろうという思いに駆られるからである。
自負心ほどはかないものはない。先に挙げた女流作家の読者人気に支えられた自負心に満ちた言葉は、多くの人を誤らせかねないような気がする。努力を放棄する言い訳に、モーツァルトやベートーヴェンの名前など持ち出さないでもらいたいものだと思う。
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