Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 音楽は不思議な芸術 <認められるということ>

クラシック音楽史を見ていると、不思議だなと思うことがよくある。言うまでもなく、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンというように西洋音楽の伝統は流れて行くのであるが、これは、言わば後付けの、純粋な音楽史的解釈であって、この中で、実際に生前から認められていた音楽家はと訊ねると、まるで、様子が変わってくる。


まず、当時はバッハよりもヘンデルの方が、ずっと有名な作曲家で、ヘンデルは、近代以後では、演奏が不可能となってしまったカストラートという去勢された男性歌手のためのオペラを多く手掛けたために、その芸術としての真価が、本当には、よく分からなくなってしまったという事情の持ち主なのである。因みに、バッハ、ヘンデル、スカルラッティは、三人とも同年生まれの作曲家という、不思議な偶然がある。


そうして、バッハは、このヘンデルを尊敬していて、会いたかったという記録さえ残っているのだが、ヘンデルは、この田舎に住んでいて、当時は、むしろオルガン奏者として知られていた作曲家には、まるで、興味を示さなかったということも分かっている。


平均律クラヴィーア曲集は、バッハの生きているうちに、出版されていたのだが、当時の音楽愛好家の人たちは、これを、むやみに古めかしい難解な音楽と受け取り、バッハは、新音楽の進歩の邪魔をする音楽家として、当時の新進の音楽家から訴えられてさえいるのである。


フリードリヒ王との謁見は、バッハのごく晩年の出来事であり、それに、そのときバッハの着ていたみすぼらしい服装を見て、宮廷の侍女たちは、バッハを笑いものにしている。妻のアンナが、「バッハの思い出」の中で、わたしたちはまったくの簡易生活に慣れきってしまっていると書いているのは、その通りだったのである。さすがに、王は、その笑った侍女たちを窘めてはいるが。


そうして、バッハという名は、ヨハン・セバスチャンではなく、今では、大した名前ではないその息子の音楽家たちによって、知られるようになったくらいである。それでも、ヨハン・セバスチャンの偉大さが、知られるようになるのは、まだ、時を待たねばならない。


<続く>