今は、あまり聞かれなくなったが、三英傑の信長、秀吉、家康の中で、誰が一番好きかというのは、昔よく聞かれた質問である。今でも何かの折に、こうしたことを言う人もいるかも知れない。ただ、この人物たちのことをよくよくかんがえてみれば、これは、単なる好き嫌いで片付けることができない人物たちであるのは、明瞭な... 続きをみる
エッセイのブログ記事
エッセイ(ムラゴンブログ全体)-
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前回の記事の補足なのだが、新しいアイディアというものは、受け入れられのに、まず、旧来の考え方から批判されるというのは、やはり、本当の事のようである。 人々の考えの覆いを取り払うということ、つまり既成観念を取り除くというのは、人が考えているより、ずっと厄介なことのようである。 例は、わたしが前回書い... 続きをみる
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もう、30年来思っていることなのだが、パソコンはじつに進化が著しい筈のものなのに、みんなが使って怪しまないとても不合理なものがある。他でもない、パソコンのアルファベットの文字列キーである。 この無秩序というより、前時代のタイプライターから受け継がれた、わざとキーを遅く打たなければならないように配列... 続きをみる
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本を読むことは、自由に考えるときの必須の条件である。考えるだけなら、誰でも可能であるが、既成観念にとらわれず、自由にものを考えるには、ある特殊な修練を必要とする。 その修練には、だが、本を読むだけでは足りない。本を読みつつ、考える力を身につけなければならない。既成観念とは、じつに頑固にこびり付いた... 続きをみる
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法華経を持ち出すまでもなく、ウソには様々な効用がある。芸術の中でも、小説という大きなウソがある。ドストエフスキーの小説が、どれほどの迫真力とリアリティを持ったものであろうと、それらの小説群がまったくの絵空事であるのは明々白々のことである。 フロイトだったと記憶しているが、科学の弱点は、真理に対して... 続きをみる
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※体調はずいぶん回復しました。ご心配をお掛け致しました。 わたしは、気概の感じられる深い思考が好きである。難解な思考というのではない。ごく、当たり前な言葉を使っていながら、考えが、とても深く張り巡らされているような文章には、たいへん惹かれる。 小林秀雄や井筒俊彦のような人の文章が好きなのも、その理... 続きをみる
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「考える人」はロダンで有名だが、わたしは「半跏思惟像」の考えている姿の方が、好きである。 ロダンの像からは、思考の力と苦悩いうものを思わせずにはいないし、それがなんらかの焦点を結ぼうともがいている様がよく感じ取られるのだが、半跏思惟像の方は、仏像ということもあって、焦点は常にピタリと合っていながら... 続きをみる
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セザンヌが好きである。だが、セザンヌの名作と言われるものは、そのほとんどを、金持ちが持って行ってしまい、一堂に会して見ることができないものになってしまっているのが、現状である。 画集だけで、セザンヌの絵を判断するのは危険だということは、分かり切った話であるが、さて、セザンヌの本領を発揮した本物をじ... 続きをみる
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法然の新しさには、何か決定的なものがあって、わたしはその不思議な革新性に惹かれる。 法然の思想上の新しさは、「念仏も」往生の種となるというのを「念仏こそ」に改めたに過ぎない。だが、これは思想上のことに止まることではない。当時の人々の宗教生活そのものの革新だった。宗教生活の変化とは、当時の人々にとっ... 続きをみる
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「源氏の前に源氏なく、源氏の後に源氏なし」そんな言葉があったかどうか忘れたが、史的に見ると、源氏物語は聖徳太子並みにその時代を超えている。 貞永式目が典範を持たない憲法であっったように、源氏も、その類例を前代に求められない。わずかに竹取物語にその萌芽を見いだせるだけである。かぐや姫があらゆる男を惹... 続きをみる
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少し前の話で恐縮だが、この曲はたいへん好きで、よく聞いていた。 亡くなった本田美奈子さんも歌っていたが、「ああいう細い子じゃなくて、それこそテキサス辺りのでっぷりとしたおばちゃんに朗々と歌い上げて欲しいね」と言ったら、ある人から「それなら、スーザン・ボイルのを聞いたらいいよ。」と言われ、早速You... 続きをみる
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源氏物語を読み返している。以前、読んで分からなかったことが、次第に鮮明になってきた。以前の読書はいささか読み方が幼稚だったようである。 およそ、物語の主人公で、これほど作者に、本当に愛された登場人物も他にいまい。そこには、贔屓の引き倒し以上のものがある。太陽光と同等と言っていいような直線過ぎる愛情... 続きをみる
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良書には、正解はない。その代わり、よくよく吟味された問いがある。 〇 何かにつけ、正解を求めずにいられない人は、まだ、学校を卒業できずにいる人である。 〇 本を読みたいが、何を読んだら良いのかわからないというのは、今の多くの人の悩みのようである。岩波文庫は一部を除いて、新潮文庫... 続きをみる
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センセーショナルな感情は、俗耳に入り易く、世間に受け入れられやすい。その代わり、たちまち消え失せてしまうものである。 ○ わざとらしい感情は誰でも見抜く。 ○ 自然な感情は、その自然さにおいて力がある。 ○ 真実の感情は尊い。 ○ 美しく偉大な感情は一番見抜... 続きをみる
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※この記事は、少し分かりにくいと思いますので、「資本主義経済」というタグの中の「紙幣という形而上」という記事をご覧頂いて、参考にして頂ければ、幸いです。 一時代前は、通貨と言えば、貴金属だった。つまり、通貨は実質を持った価値を持っていた。国が滅んでも、通貨自身が価値を持つ財産だった。 しかし、資本... 続きをみる
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第3楽章が有名なトルコ行進曲のピアノソナタであるが、わたしが注目したいのは、第1楽章のそれこそ出だしのところである。 とても単純で、きれいな旋律なのだが、わたしはここに、比喩になるが、何か異様なまるで大きく口を開けた怪物に吸い込まれていくような、または、底の知れない深淵をのぞき込んでいるような不安... 続きをみる
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以前から、不思議に思っていたことがあった。 わたしのブログは、にほんブログ村では、中程度のランキングで、ポイント数もさほど多い方ではないのに、「おすすめ人物画」と検索すると、非常なサイト数にもかかわらず、わたしの絵がトップページに出て来た。今は、URLを変えてしまったので、そうではないが。 また、... 続きをみる
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「日本は狭い」とは、よく言われる言葉だが、わたしは日本は少しも狭くないというのが、日本に住む者の実感としてある。「狭い日本」とは、単に、世界地図を見たときの感想をいった言葉に過ぎないのではないかと思っている。 急峻な山々がそびえ立っているために、天候は日本海側と太平洋側とはまるで違うし、単一民族で... 続きをみる
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前に、このブログで一度触れたが、ドストエフスキーの「白痴」の中で、ナスターシャが大金の札束を燃やそうとする場面をよく見てみたい。紙幣が、金銀貨とは、まるで違ったものだということを象徴的に表現している箇所だと思えるのである。 バルザックの時代は金銀貨であり、それは、そのままで実質的な価値を持つ貨幣で... 続きをみる
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社会というものを手っ取り早く、理解しようとする手段として、これほど、現代社会において、不思議なほど信頼を集め、いわば乱用されているものもないであろう。 こう問おう、社会とは何であるかをしっかりと知っている人間が果たしているだろうかと。古来、社会は怪物に例えられた。少しも古びたたとえではない。肝心な... 続きをみる
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十五分ほどのオルガン曲だが、わたしが始めて、バッハの音楽に触れ得たと思ったのは、この曲だった。この曲には、甘く人を酔わせるような音は一音もない。 学生時代、ある本で推薦されていた、この曲のレコード(当時はCDではなく、レコードだった)を買って聞いたときのことは、よく覚えている。いや、はじめて曲を聞... 続きをみる
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「共時性、同時性」などと訳されるが、今ではユング流に「因果的には説明できないが、意味のある偶然の一致」と訳される語で、平たく日本語で言えば「縁」である。 ユングの考えの土台となっているのは儒教の「易経」で、縁は仏教用語だが、この東洋思想両者に共通する、事象がシンクロナイズするという現象は、西洋の学... 続きをみる
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きれぎれの思いのままに年は暮れ 名前は誰だか、調べればすぐ分かるのだが、ずいぶん前に「きれぎれ」という小説を書いて、芥川賞をとった作家がおられる。わたしは根が無精だから、調べずに書いているのだが。 こう書いてきたというもの、ある文芸同人誌に属していた20年前ほどのとき、わたしは「きれぎれ草」という... 続きをみる
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纏まりの付かない文章になると思うが、一応書いてみたい。 イエスの誕生日が制定されたのは、三世紀頃とされている。聖書には、イエス・キリストの誕生日の記述がないことは、よく知られている。一年でもっとも日足のが短い日が、メシアの生誕日であったことにしたのは、西洋人の深い感情が込められているものと見て良い... 続きをみる
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日本の食パンは、とてもやわらかくて、うまい。素材自体の甘味さえ引き出している。テレビで、フランス人のある少女が、日本の食パンを食べたとき、「まるで、ケーキみたい!」と叫びながら、嬉しそうに大はしゃぎしている映像を見たことがある。 食パンは、素材の味を大事にする日本独自の文化から生み出されたもので、... 続きをみる
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武士道は、歴史的に見て、非常に発展性のある思想である。これは格別なことといって良く、世界的に見ても稀な思想と言って良いようである。 思想というものは、深くそれを考察するとき、原点に戻るのが本来である。キリスト教でもイスラーム教でも仏教でも儒教でもその原理は変わらない。言わば、最初にすべてが所与され... 続きをみる
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現在、歴史家の間で、聖徳太子のことが取り沙汰されている。聖徳太子という人は居なかったという説が有力なのだそうである。 居なかったかどうかは、ともかく。ここで至極当たり前なことを指摘しておきたい。人間の心というものは、あるものをないとして考えるというときには、とても活発によく働くものである。だが、元... 続きをみる
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ルソーの「エミール」にはこんなことが書かれている。「病院は病気を治すところではなく、病気をつくるところである」と。 現代医学の発達は目覚ましいから、現代では一概に、このルソーの言葉通りという訳にはいかないかもしれないが、未だに、ある真理を内包している言葉である。 わたしと同じくらいの年代の人は、お... 続きをみる
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※この記事には、禁忌に属する事柄が少し含まれています。苦手な方はお読みにならない でください。 人間の深奥にある「信」の心は、神や仏などの絶対的な存在におくべきであろう。 これは昔から変わらない事柄である。 横道に逸れるが、日本では無宗教を標榜して、平気な顔をしている人がいるが、これは日本独自の... 続きをみる
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小林初期の数十ページほどの短文です。初期の小林らしい江戸っ子気質が窺える威勢のいい啖呵を切ったような文章ですが、わたしは若い頃この短文を読み、どれほど勇気づけられ励まされたか知れません。この短文は最後にこう締め括られています。「良書は、どのような良書であれ、たった一つのことしか語っていはしない。君... 続きをみる
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戦後思想を代表する著者が、晩年、若い人に向けて書いたエッセーです。いわゆる処世法と言っていいものですが、世にいう処世術とはひと味違います。吉本の長年に渡って、戦後思想に心を砕いてきた思想家としての裏付けがあるからでしょう。雅俗が奇妙に混交する著者の思想が、ようやく晩年になって、得心のいく表現法を見... 続きをみる
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永遠は取り付くしまのない、のっぺらぼうのようなものであってはいけない。例えば、それは肌に染み込んでくるような、海に沈む太陽でなければならない。 〇 おそらくは数学の上での最上の遊戯である将棋 〇 言葉は死なねばならない 意識の尖頂から軽やかに身を投げねばならない そうであればこ... 続きをみる
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銅版に描かれた猫の絵 呪いをかけられたように厳かに 不可能な一歩を踏み出そうとする 〇 きよらかな秋の午後 駅前の鳩の群れは深呼吸をはじめた 〇 遠い国から手紙が来た 海の匂いがした 〇 表現 ここには一切がある しかも一切が失われている ... 続きをみる
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キリスト教の人格形成力にはたいへん力強いものがある。マザー・テレサの例を見ても分かる通り、往時の勢いは衰えたとはいえ、未だに、聖女を輩出する力を持っている。最近の例では、アメリカの前大統領のブッシュであろう。この劣等生の飲んだくれを超大国の大統領まで押し上げたのは、まさしくプロテスタントの人格形成... 続きをみる
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幸福な人間は、自分が幸福である理由を深く尋ねようとはしないものだが、不幸な人間は、自分がどのように不幸であるかを良く知っているものである。その人は、そこからその人自身の独特な人生観を作り上げる。 〇 精神にとって肉体を侮蔑することほど易しいことはない。難しいのは肉体の声を正確に聴き取る繊... 続きをみる
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美しい矛盾というものがある。人間存在の退っ引きならない必然性から、緊張感を持って発せられた矛盾は美しいものである。現代人は矛盾と言うだけで、すぐ不合理だとかとやかく言いたがる。嫌な時代になったものである。抑も、「矛盾」の出処が韓非子という人間不信の冷血漢であったことを知らないでいる。これでは、古典... 続きをみる
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聖書には考えさせられる思考が多くあるが、その中でも、イエスが神の永遠性について言うとき、帰納的に考えているのが注意を引く。 神は、アブラハムの神であり、ヤコブの神であり、イサクの神であった。従って、神は同じ一人の神であり、また永遠であると。 確かに、神を考えるとすれば、人間の分際で、それをまったく... 続きをみる
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ゼルキン&アバドのモーツァルトのピアノ協奏曲集を聴き込んだ。ゼルキンは亡くなってしまったが、これが彼の最も良いモーツァルトの演奏となったようだ。ゼルキンはモーツァルトのピアノ協奏曲は弾くのだが、モーツァルトのピアノソナタの方はほとんど弾いていないようで、わたしは寡聞にして知らない。あんなにモーツァ... 続きをみる
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名前は忘れたが、わたしの心の中で、良く思い出されるある女流作家の言葉がある。 「自分は、モーツァルトやベートーヴェンになれるような才能はない。だから、作家なんていう商売は辞めて、人生を楽しもうと決めたのだ。」と 人が自分で決めた人生のことだから、とやかくいう義理はないのだが、この言葉を聞いて何か釈... 続きをみる
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人間は、心の中でじつに多くの逃げ場をつくるものだが、その最たるものは、死の観念であろう。”死”ではなく死の観念である。 ラ・ロシュフーコーだったと記憶しているが、死を本当に思うことは、太陽を見つめ続けるのと同じく人間には、本来無理な仕業であると言っていた。 現今、ドクロのアクセサリーや小物が流行っ... 続きをみる
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日本は、夏は東南アジア諸国並みに暑く、冬は北欧の冬並みに寒い。また、日々の気温差が季節の変わり目には乱高下する。自然が厳しい国というだけでなく、自然災害は他の先進国と比べても、圧倒的に多い。地震、台風、豪雨、豪雪等々。 こうした国であるにもかかわらず、日本人は、ほかのどの国よりも、自然を愛でる。特... 続きをみる
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「資本論」に、こんな言葉がある。「人が、半年生きるということは、その半年分、死に近づいたということである。」これを読んだ当時、また、年齢を重ねた現在も、この物差しで測ったような年齢についての見解には、砂を噛むような人生を見せられている気がして、どうしても、釈然としない思いを抱かせられたものである。... 続きをみる
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法律の厳罰化傾向が続いている。法律専門のお役人方は、法律を厳罰化すれば、犯罪は減るとでも思っているようである。これは、簡単な算数なのであるが、法律が厳罰化されたお陰で、自動車によるひき逃げ事件がなんと増えていることだろうか。 人間の心は、算数では測れない。こんな単純なことも(じつは深過ぎる理なのだ... 続きをみる
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ベートーヴェンにしては、思わせぶりな曲だと長年思ってきた。 グールドもベートーヴェンのアパッショナータが何故あんなに人気があって名曲と言われるのか、訳が分からないとどこかで言っていたが、グールドの言うことは、半分眉に唾をつけて聞かないといけないから、素直に賛同はしていなかった。 それで、つい最近、... 続きをみる
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リレーということで、常日頃考えていることがある。日本の文化歴史の特徴に、このリレーということが大切な役割を果たしているということがあると思うのである。 日本仏教の浄土教の法然・親鸞のライン。戦国時代の信長・秀吉・家康のライン。近くは維新期の吉田松陰・高杉晋作・西郷隆盛等のライン。つまり、日本の歴史... 続きをみる
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モーツァルトがとても好きである。 K551「ジュピター」はわたしにとって、本当に啓示だった。最初にモーツァルトに本当にふれたその高校生当時、世の中にこれ以上の音楽はあるまい。いや、有り得ないと本気で信じていた。今でも、半ばそうである。ジュピターは、未だに、ある強い感情を伴わないでは聞くことができな... 続きをみる
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「バカ」とは足りない人間のことではなく、跳ぶ人間のことである。「利口」は跳ばない。危険であることを知っているからである。 自分を振り返って、自身をじつにバカだと思うのは、わたしだけではなかろう。 危険を冒さなければ、人生に意味が生じようがないのも、また、事実である。 バカにつける薬はない。自分を省... 続きをみる
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思想と観念は、区別がまぎらわしいものだが、観念は単なる言葉であって、思想は何か別な高級なものと思われがちである。 これは、はっきりしておかなければならないのだが、思想も単なる言葉に過ぎないのである。もっと言えば高級なものでさえない。観念よりはるかに手垢にまみれた生臭いものだからである。だが、そこに... 続きをみる
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わたしは、モーツァルトの「レクイエム」が好きでよく聞くという人が、信じられない人間である。先日も、モーツァルトの「レクイエム」が好きでよく聞いているという人に出会ったが、わたしは、この人はモーツァルトという人と音楽をまるで知らないなと心ひそかに思ったものである。 安藤美姫だったと覚えているが、「レ... 続きをみる
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人を顔で判断するのがはやりである。地下鉄の週刊誌の広告には、これでもかというくらい顔ばかり載せている。 わたしは週刊誌や雑誌などを読む習慣がない。せめて、文藝春秋くらいはと思うのだが、今の冷笑主義の論調に嫌気がさし、読む気がしないでいる。だが、地下鉄の週刊誌の広告だけは、よく見る。 週刊誌などの雑... 続きをみる
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儒教の五徳でいけば、仁義礼知信と末端に位置する徳である。信は、それほど身近な普遍的な徳目であって、例えば、日常生活で、バスや電車に乗るとして、そのバスの運転手、電車の運転士を信頼していなければ、本当には乗れないはずなので、飛行機や船などは、なおさらそうであろう。スーパーで買う食べ物等、どれを取って... 続きをみる
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「ニーベルングの指輪」には驚嘆した。近年ない感動を味わった。この歳になって、こうした感動を得るとは、いや、音楽の世界はじつに広いと改めて感じ入った。 ワーグナーが好きで、ワグネリアンという人たちがいることは知っていたが、実際、その人たちの気持ちも分かるような気がした。音楽の表現力の、モーツァルトと... 続きをみる
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数年前のことだが、ある宗教的な人と偶然話す機会があった。宗教的とはいっても、わたしより年少の、どこから見ても平凡なサラリーマンという男性であった。 それで、その人は親鸞会に傾倒していたのだが、自分の生活をすべてなげうって、そこに所属し、信者を募っていた。 その人の言うには、自分が救われるということ... 続きをみる
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武士は、二君に仕えずとは、頼朝の作った武士の倫理だった。それでは、その前はどうだったかというと、平安期の武士たちは宮廷や荘園や寺社などを自由に雇われ歩いていたのである。 では、貴族はどうだったかというと、菅原道真が左遷されたときなど、その配下の者たちもすべて零落していき、清少納言も定子が権力争いに... 続きをみる
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実存主義は、キリスト教または既存の宗教的な衣を脱いだとき、人々が抱く思想だと言われているが、わたしは異なった考えを持っているので、ここに書いてみたいと思う。 結論から先に言えば、むしろキリスト教こそ実存主義そのものだという考えである。思想において、何ものをも、前提としないという点では、東洋の方がむ... 続きをみる
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演奏は単なる解釈ではなく、高度な創造的営為であることが、このリヒター盤の「ブランデンブルグ協奏曲」で知られる。 ブランデンブルグには、他にも、ピノックやアーノンクール、レオンハルトのよい演奏があるのだが、(カザルス盤もあるらしいが、わたしは聞いたことがないので)このリヒター盤がブランデンブルグを演... 続きをみる
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微妙な問題になると思うが、この言葉について、色々とかんがえてみたい。知っている人は、すぐにピンと来るであろうが、これは明治憲法で天皇の地位を定めた言葉である。 わたしは明治時代に書かれた文章を読むときよく思うのだが、明治時代というのは、良く言えば、重厚で大真面目、悪く言えば、肩肘張った大仰な表現が... 続きをみる
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シューリヒトの音 いったい、指揮者が変わるだけで、オーケストラの音は変わるのだろうかという根強い俗見があるが、その問いに答える目覚ましい実例が、シューリヒトであると言えると思う。シューリヒトが主に指揮した楽団は、パリ・オペラ座管弦楽団で、ヨーロッパでも一流のオケとは言えない。ウィーンフィルやベ... 続きをみる
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あるとき、ある高等学校の生徒さんの作文を多く読む機会があった。それを見ると、彼らがいかに<結果>というものに心を蝕まれているかを痛感した。 彼らの作文で、よく出て来るテーマを圧縮してみると、努力→結果という図式である。ほとんど、これ以外は考えようがないというくらい頑固にこの単線の思考を繰り返してい... 続きをみる
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戦後73年、明後日は終戦の日ということで、テレビや新聞では、戦争の特集をやっている。今のテレビや新聞の報道の仕方を見ていると、「戦争は不条理なもの、平和は条理に適ったもの。」そして「戦争は絶対悪、平和は絶対善。」という公式で括れるようだ。もし、本当にそうであるなら、こんなに結構なことはないほどの有... 続きをみる
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日本は自然の厳しい国である。夏は東南アジア諸国並みに暑く、冬は北欧並みに寒い。わたしと同年代の人は、日本を亜熱帯型(もしくは温帯型)モンスーン気候の国だと習ったはずだが、今は、どの教科書を見ても、そうは載っていない。 世界地図から見て、これほど小さな国であって、また、これほど地域によってバラエティ... 続きをみる
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かなり、以前の話で恐縮だが、あるアイドルの女の子が不倫をし、テレビなどを騒がせたことがある。その報道で流された彼女の不倫の仕方を見て、それをわたしなりに言葉に直してみると、「わたしは自分の自然な恋愛感情のままに自由に行動したいの。わざとみんなにも分かるようにもやってみる。それの何がいけないの。」と... 続きをみる
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運動はどのような運動であれ、それが継続されていれば、内的にソフィストケートされる。資本主義経済という大運動も、その例外ではあるまい。現代の日本では、それが資本主義経済に付随する特徴であった「速さ」として洗練された。 リニア新幹線は、そのもっともシンボリックな表現と言っていいもので、これが、確かに富... 続きをみる
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金というもの 金は現代、いつどんなときであっても数字である。そうして数字は魔術と非常に親近性が高いものである。それにしても、こんなに生臭い人間臭い数字はちょっと他には見当たらない。 また、金の魔術的な性格、例えば、1ドルが360円だったり、100円だったり、1億マルクだったりすることを思い合わ... 続きをみる
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特攻は、特攻隊員の側からしか見られないことが多いが、ここで、アメリカ側の兵士の心に、なるたけ寄り添ってかんがえてみたい。 最初の特攻攻撃を受けたとき、アメリカの兵士は挙って、クレイジーだと言った。だが、次々とやってくる特攻を見て、単なる狂気の沙汰ではないと悟ったとき、突っ込んでくる前に、打ち落とす... 続きをみる
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資本主義経済が人狼的な性格を持っていることは、「資本論」が指摘した通りである。産業革命は、まず、自国の下層の人々に刃を剥いた。「女工哀史」はつとに有名だが、現在の日本でも、例えば、トラックの運転手に「雪が降ろうが、台風が来ようが延着は許さない。」と迫るところによく表れている。 だが、資本主義経済の... 続きをみる
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現代では、理性という島に近現代科学の大建築が建っている。ほとんど、世界を制覇する勢力だが、理性の島の周りには未だに茫漠とした霧堤が広がっている。霧堤とは、わたしの比喩ではなく、カントがその著書の中で、言っていた比喩である。 この建造物をバベルの塔に過ぎないというのは、見やすい理だが、現代のわれわれ... 続きをみる
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ユング<イメージの心理学> ユングの自伝を読んでいると、ユングが人生を決定するような強烈なイメージに襲われるときは、それは、襲われるという言い方に相応しいものだが。 それを自分のうちに引き受けるのに逡巡する何日間やときには何週間かがあって、そのときには、ユングは鬱に近い状態に陥るのだが、そのイメー... 続きをみる
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歴史があるということは われわれがまさしく生きているという、そのことに他ならない。 〇 シルクロードからもたらされた夥しい異邦の文化を、無際限に取り込んで、消化してきた日本は、その地図上の形態からも人間の胃を思わせる。世界の胃。そのたくましい消化力は、いずれ、西洋文化やイスラム文化さえ... 続きをみる
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現在、日本のピアニストで、こんなに見事にモーツァルトを弾きこなせる人は、彼女くらいだろうと思って、好んで聞いている。協奏曲のアルバムの謳い文句には、Greatという言葉が使ってあったが、その言葉を少しも裏切らない非常な出来映えである。モーツァルトのピアノソナタのCDも、実にいい。 それにしても、こ... 続きをみる
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武は儒教の洗練を受けてその人格形成力を増したと言っていいが、武は侍という言葉が示す通り、君に仕えるのがその本分である。従って、その人格は表立って主張されることを嫌う。 君に仕えるという現実の仕事の意味合いに、儒教は強固な足場を提供したのだが、その中で、作り上げられた人格は少しも分かり易くはなら... 続きをみる
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「女らしい女なら、向こうから逃げ出す。男らしい女なら、こっちから逃げ出す。」アンチフェミニストらしいニーチェの言葉である。 わたしはフェミニストであることを心掛けているから、女らしい女は追いかけることを、男らしい女は、受け入れることを信条としているが、なかなか事はうまくは運ばない。実際、男女関係く... 続きをみる
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宣長が「古事記伝」を執筆する際、研究余録として書かれた随筆集です。内容は国学を中心として、諸事万般に渡るもので、宣長の興味教養や思考の幅がじつに広く、また深いものであったことを窺わせます。書中、尚古主義とは正反対の思考や弁証法的な論法をきれいに叙した文章などが見えます。また、孔子という人物はけっし... 続きをみる
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美しく貴重な感情には、礼儀の衣が欠かせない。 〇 形式は、法則というよりも礼儀に近い。 〇 俳句の五七五形式、季語は礼儀そのものと言える。 〇 読書は、レコード針とレコード盤の関係に似ている。 早く読み過ぎても、遅く読み過ぎても何も分からない。... 続きをみる
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福井の方の年始行事に、弓打ち講というものがあるそうで、的に矢を放ち、その年の吉凶を占うものだそうだが、これは的に矢が当たらないときの方が、吉で、却って的に矢が当たってしまっては、凶事が起こるとされているそうである。 批評ということと、重ね合わせてかんがえてみるのだが、あまりにも的確で、息を... 続きをみる
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2018年サッカーW杯 日本対ポーランド戦での、日本へのブーイング試合。 あれこそ、本来の、古風な意味合いでの「やまとだましい」「やまとごころ」を持った日本侍選手たちの試合なのである。 「武士道」とは、だから、定義するのが、まったく困難な、じつに含蓄に富んだ言葉なので、一種の精神主義とは、一線... 続きをみる
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日本の現代作家丸谷才一の軽快なエッセーです。これはわたしの好みも入りますが、この人の文章は小説よりも、こうしたエッセーのように軽妙なものの方が、生き生きとした精彩が感じられるように思えてなりません。たいへん博学な人で、博識を元にした知的遊戯の達人と言っていいかもしれません。それでいて、ペダンチック... 続きをみる
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歎異抄 たましいの奥底に墨で大書されたような文言 これはどんな人間のたましいにも応ずる 善人だろうが悪人だろうが 「たとへ、法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも」 「すかされ」という俗語が、肉体的に痛切と言っていいくらいの血の匂いがする なんという奥深さだろうか 親鸞の手振りや... 続きをみる
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自我形成 自我を形成するとは、周囲から自分が切り取られることである。自我は切り取られた傷口に沿って自分を形成していくものである 寒天からナイフで小さな立方体を切り取る。 要点は、その立方体の小片にではなく、切り取られたという、そのことにある。 そうして、再び周囲と新しい関係を築くこと。自我形成とは... 続きをみる
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問題 世の中の問題というものは、それがそのまま解決されることは、稀な事態である。通常はそれを問題とする必要がもうなくなったから、自然とその問題が解消されるという形をとるものである。われわれが、日頃頭の中で思い煩っている問題にしても同じことが言える。 ○ 内村鑑三 明治期以来、もっとも霊性的な人間と... 続きをみる
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※ほぼ、3カ月ほど中断しておりました。これからは、ぼちぼちUPしていきたいと思っています。<(_ _)> 理念は新語である。理念というものは厳密に扱われると、自分や他人を傷つけずには置かない両刃の剣となる。この理念というものは、キリスト教を代表とする、唯一神を奉ずる西洋諸国からもたらされた観念であ... 続きをみる
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「死の家の記録」には、多くのさまざまな動物が登場するが、皆、動物の形をした人間である。「カラマーゾフの兄弟」にもペレスヴォンという忘れがたい犬が登場するが、これも犬の形をした虐待された人間である。 ドストエフスキーの目は、本当に人間というもの見て見抜く目で、よくあれほどまでに強烈な興味を人間という... 続きをみる
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一時代前、結婚は人生の墓場という言葉があったが、最近の新入社員の黒づくめのスーツを見ていると、就職は人生の墓場であるかと思ってしまう。 さて、結婚難で、少子高齢化の時代となり、これは、どうした加減の現象かと問いたくなるところである。明治初期の頃、福沢諭吉は、結婚率の割合と米の相場が連動していること... 続きをみる
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この曲は、昔から気になっていたピアノ曲で、op.111のピアノソナタに心の底から感激し、もうこれ以上のピアノ曲はあるまいと思っていたときに、op.120のこの大曲があると知って驚き、聞きたくてどうしようもなかった。学生時代のことである。 最初にグルダを聞いたが、どうも納得できない。次にブレンデルの... 続きをみる
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アランの「幸福論」の中に、こんな言葉がある。 「自分を信じるやり方に二つある。一つは学校式のやり方で、そのままの自分を信じるということ。もう一つは職場式のやり方で、自分を全く信じないというやり方である。」 どちらも軸となっているのは、自分であることに注目したい。 「ありのままの自分」とか「自分らし... 続きをみる
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ある「罪と罰」の本の帯に、「ラスコーリニコフは、偶然、犯した第2の殺人によって自白する。」と書かれていた。だが、これは、大きな誤りであって、ドストエフスキーという詩人の思想を誤解するものである。「罪と罰」が感傷家によって、読まれた一例でもあるだろう。 こう質問してみよう。もし、偶然、リザヴェーダが... 続きをみる
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「罪と罰」のラスコーリニコフは、自分で抱いた自由思想を全人格で実践した男である。そこには、何の妥協もないのであって、誰にも、それを止める力はなかった。そうして、凶行を遂げた後に、良心の呵責が容赦なく襲いかかっても、自由を追い求める彼の悪魔的な頑強な人格は、それによって、崩壊することはないのである。... 続きをみる
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教育者の資質としての一つに、どれだけ大きな矛盾を抱えられるかということがある。 昨日、言っていたことと今日、言っていることと違うと気にしているようでは駄目である。むしろ、進んで今日言っていたこととは、矛盾することを明日言うべきである。 何も、でたらめを言えば良いと言っているのではない。 ガンジーの... 続きをみる
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ショスタコーヴィチが気になっていた。この政治的に極めて奇怪な経験をした作曲家は、つい最近まで生きていた現代人だが、ロマン主義でもなく、シュトックハウゼンのような実験的で前衛的な音楽家でもない。 シンフォニー15番はテレビのNHK交響楽団で聞いたのだが、その不思議な音が忘れられなくて、ネットで色々検... 続きをみる
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実際の効用。 〇気晴らし。(ある田舎のお医者さんは、歳を取ったおばあさんに喫煙を勧める。確か に、刺激にもなるし、気晴らしにはもってこいであろう。) 〇軽度な不眠症状への対処。(刺激物であるにも関わらず、入眠障害に効く。) 〇排便作用。(便秘がちの人には、朗報であろう。) 〇気... 続きをみる
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閑話休題 タバコは、インディカの宗教儀礼で使われていたことを先に書いたが、一般的な見解として、宗教儀礼に使われるようなものに、強烈な毒があるとは、とてもかんがえ難いことである。 イギリスにたばこが渡ったとき、これは、頭に良く効く煙だという噂が立ち、学業に励む子供たちに喫煙させたものでさえある。 現... 続きをみる
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閑話休題 あまりに、当たり前なこと過ぎるので、閑話休題として書かせて頂くことにしたい。 まず、現今、タバコの受動喫煙の害というものが取り沙汰されている。ある統計(統計というのは、実は、たいへん恣意的なものなのだが)の推計によるとほぼ1万5千人が肺ガンになるリスクを負っていると言う。 それで、もしそ... 続きをみる
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ホロヴィッツが分かるようになり、とても好きになった作曲家がスクリャービンであった。ホロヴィッツが分からなかった理由は他でもない。このピアニストが実に癖のない理想的なピアニストであることに由来していた。 ピアニストの模範といわれるほど、そのピアノを弾く姿勢から打鍵のタッチに至るまで、隙がまったくない... 続きをみる
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グールドの代名詞のような曲だが、グールドのこの曲の演奏がなぜこうも現代人に訴えかける力を持っているのか、わたしには不思議なのである。 まず、このゴルドベルグ変奏曲という曲である。この曲は、バッハの中でも、もっとも長大な鍵盤曲だが、演奏に50数分もかかるというのに、忙しくてしようがない現代人の感性に... 続きをみる
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ハムレットは復讐劇である。忠臣蔵がそうであるように悲劇に終わるより他はない劇である。ただ、ハムレットは非常に多弁で、内蔵助は非常に寡黙であるということは、また、別の話になるのだが。 ハムレットの自由精神は、比喩を使えば、いわば、復讐心という暗い感情を垂直軸にして、その回りを振り幅が非常に大きい螺旋... 続きをみる
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ずいぶん前から聴いている曲だが、このピアノソナタはリパッティの演奏が一番よいと思っている。だが、リパッティはモーツァルトのピアノソナタでは、この「K310」一曲しか残していない。早逝もあるが、なぜわざわざこの一曲なのだろうと、いろいろ想像を巡らしていた。 というのは、ショーペンハウアーが「意志と表... 続きをみる
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トルストイと比べてドストエフスキーは常識外れと思われがちだが、作品の中で社会常識を踏み外さないのは、むしろドストエフスキーの方である。 晩年のトルストイの無政府主義的革命家とも思える言動は、社会の在り方を根底から引っ繰り返そうとする道徳的野人のそれである。しかも、これは晩年に限ったことではないので... 続きをみる