エッセイ 思想というもの
思想と観念は、区別がまぎらわしいものだが、観念は単なる言葉であって、思想は何か別な高級なものと思われがちである。
これは、はっきりしておかなければならないのだが、思想も単なる言葉に過ぎないのである。もっと言えば高級なものでさえない。観念よりはるかに手垢にまみれた生臭いものだからである。だが、そこにこそ思想としての命がある。
実生活と肉体を離れたところに、思想の生命はない。考えてみれば、血に塗れなければ思想など何の価値も持たないのである。何が高級であろうか。
せいぜい空虚な観念と戯れておいた方が、衛生的というわけだが、そういう人間と話していても、欠伸ばかり出て、人生とはこうも退屈なものかと慨嘆するばかりである。
わたしはまだ読んでいないが、ホフマンの小説に生き血を吸わなければ生きていけない呪われた怪物が登場するそうである。真の思想家とはそういうものだ。
真の物書きは自分の血で書くとは、比喩などどこにもないものなのだろう。
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