ハムレットは復讐劇である。忠臣蔵がそうであるように悲劇に終わるより他はない劇である。ただ、ハムレットは非常に多弁で、内蔵助は非常に寡黙であるということは、また、別の話になるのだが。 ハムレットの自由精神は、比喩を使えば、いわば、復讐心という暗い感情を垂直軸にして、その回りを振り幅が非常に大きい螺旋... 続きをみる
2017年11月のブログ記事
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ずいぶん前から聴いている曲だが、このピアノソナタはリパッティの演奏が一番よいと思っている。だが、リパッティはモーツァルトのピアノソナタでは、この「K310」一曲しか残していない。早逝もあるが、なぜわざわざこの一曲なのだろうと、いろいろ想像を巡らしていた。 というのは、ショーペンハウアーが「意志と表... 続きをみる
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トルストイと比べてドストエフスキーは常識外れと思われがちだが、作品の中で社会常識を踏み外さないのは、むしろドストエフスキーの方である。 晩年のトルストイの無政府主義的革命家とも思える言動は、社会の在り方を根底から引っ繰り返そうとする道徳的野人のそれである。しかも、これは晩年に限ったことではないので... 続きをみる
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「詩聖」と呼ばれる杜甫の名詩群をさらに厳選して、解説を加えた書物です。著者の吉川幸次郎は、中国の古典中、冠絶した二著として「論語」と「杜甫詩集」を挙げています。杜甫の詩が日本文化に与えた影響は、白楽天には及びませんが、芭蕉は奥の細道の旅で杜甫の「杜工部集」を懐に忍ばせています。それから得られたのが... 続きをみる
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フロイトのオイディプス・コンプレックスの出処となったギリシア悲劇です。オイディプスは、自分でまったく知らぬ間に、父を殺し、母と結婚して子を産ませます。劇は、そのオイディプスの所行が、連れて来られるさまざまな人々の証言から、次々と明るみに引き出されて行き、劇を見る者がオイディプスの悲惨極まりない運命... 続きをみる
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世界文学の最高峰に位置する小説です。作者が最も成功した「罪と罰」を越えていると言っていいでしょう。「罪と罰」も含めた、ドストエフスキーの後期の大小説群は、単に、長いからというのではなく、コスミックと言えるほどの大きさを持っているのですが、この書はその中でも、最も円熟した作品です。「カラマーゾフの兄... 続きをみる
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現代の黙示録とまでいわれる本書は、他のドストエフスキーの作品と一線を画します。この点、シェイクスピアのマクベスに似ています。これは、単なる文学上の趣味的な見方でいうのではありません。主人公のスタブローギンは徹底して悪の道を歩きます。それも、最初は単なる興味本位からですが、それが、スタブローギンの行... 続きをみる
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「罪と罰」を書き終えた著者が、「無条件に美しい人間」を書こうと筆を執ったのがこの小説です。「キリスト公爵」と呼ばれるムイシュキン公爵がその人ですが、不思議なことに「あなたはキリスト教徒か」と問われ、ムイシュキンは黙っています。人々を途方に暮れさせるようなムイシュキンの純潔さには、ある形容し難い奥行... 続きをみる
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「バッハの思い出」アンナ・マグダレーナ・バッハ 講談社学術文庫
音楽の父ヨハン・セバスチャン・バッハの二度目の妻アンナによるバッハの評伝書です。およそ、音楽家の妻として、その夫について、これほどの評伝を残せた女性はアンナぐらいでしょう。それも西洋音楽史上、最上級の破格の天才バッハであったことは、後世のわれわれにとっては、何物にも代え難い最上の贈り物となりました... 続きをみる
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軍記物の一大叙事物語です。平氏の絶頂から没落までを具に描き、つはものたちの躍動感に満ちた言行を簡潔な和漢混交文で活写します。木曽義仲の最期などは、真に武人らしい最期で、芭蕉が惚れ込んだものです。時代の意匠であった仏教思想は、手玉に取られているようで少しも抹香臭さを感じさせません。男らしい人間臭さが... 続きをみる
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モーパッサンの作品中、もっとも有名な小説です。ある平凡な貴族の娘の平凡な一生が、鮮やかに活写されます。ここにも、著者は特に優れた人物は一人も描いていません。モーパッサンの作品では、自身を題材にしたいくつかの小説を例外として、著者自身ほとんど顔を出すことはありません。この小説の最後で、ある平凡な女の... 続きをみる
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モーパッサンには、研究書の類がほとんどありません。人生がそのまま書かれてあって、それを読めば誰にでも分かる。わざわざ研究書を書く必要などあるまいという訳です。この短篇集はその人生を書く達人であったモーパッサンの選りすぐりの名篇が集められています。どれを取ってみても人生の妙味を味わえるものばかりです... 続きをみる
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モーパッサンはフランスの小説家です。この「ピエールとジャン」は著者の最良の作品と言っていいでしょう。この小説には、少し長めの序文があります。モーパッサンの師匠に当たるやはり小説家のフローベルから受けた薫陶の言葉、「主語を飾るのは一つの形容詞、動かすのは一つの動詞で足りる。しかも、それは他のものとは... 続きをみる
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先述の「詩を読む人のために」の姉妹編にあたります。ここでは、三好は現代詩に限らず、もっと自由に一月から十二月に渡る古今の詩歌を自在に引用し、また、自らの詩的経験を単なる一経験として記述し、読者を自由な詩歌の鑑賞へといざないます。俳句、和歌、口語自由詩、そして、作者にとって最良の詩の手本であった漢詩... 続きをみる
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ミケランジェリのピアノは輝かしい。それも表面だけピカピカ光る金メッキの輝きのそれではない。精神の内部から、放射される紛うことのない輝きである。同国のルネッサンス期のミケランジェロの描く赤ン坊が筋肉隆々としていて見る者を圧倒するように、ブラームスの曲がシューマンの曲が堂々たる風格と輝きを持った一流の... 続きをみる
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三好達治は萩原朔太郎の弟子にあたります。自身優れた詩人であった著者が、現代詩を読もうとする年少の人たちのためにと筆を執りました。著者は「詩を読み、詩を愛する者はすでにして詩人であります。」と古人の言葉を引き、そう人々に呼びかけます。「この書物は、たださまざまの詩を、私という一箇の貧しい心に迎えて、... 続きをみる
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近代抒情詩の確立者、萩原朔太郎によって描かれた与謝蕪村です。俳人蕪村に、すでに近代に繋がる水々しいロマン的な抒情性を見出し、芭蕉が「漂泊の詩人」と呼ばれたのに対し、「炉辺の詩人」「郷愁の詩人」と名付け、その本質をあたたかいロマンの詩人として見出しました。「君あしたに去りぬ。ゆうべの心千々に何ぞ遙か... 続きをみる
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これは、現代人の耳目に入り易い漠然とした問いである。が、ここに、思考法というものがある。 試みに、孔子の言葉を引こう。「われ知ることあらんや、知ることなきなり。匹夫ありてわれに問う。空空如たり。われその両端を叩きて尽くすのみ。」 両端とは、今の言葉で言えば、命題と反対命題のことである。 そうすると... 続きをみる
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俳聖とまで呼ばれた芭蕉畢生の傑作です。昔、権力者から「歌枕の意味を調べてこい」と左遷された人々にあやかって、その意味を逆手にとって出掛けた旅でした。江戸からはるばる奥州に至り、旅の連れの門人曾良は病いに倒れ旅を諦めます。芭蕉自身も病いに伏せりますが、それでも旅を続け、とうとう旅の最終目的地、桑名に... 続きをみる
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前に、ビリー・ジョエルのポップスの迷惑だったことを書いたが、このことは、ベートーヴェンについてよく考えるときの糸口になるのではないかと心付いたので、ここに書いてみたい。 わたしはそのとき、「悲愴」の2楽章についてまったく無知であったから、ビリーの声が焼き付いてしまった訳だが、ベートーヴェンの曲は、... 続きをみる
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ドストエフスキーの小説、特に「罪と罰」以降の作品には、独特の時間が流れていることは誰も指摘することだが、それについての詳細な論は読んだことがない。 ここで少し、それについてかんがえてみたい。まず、ドストエフスキーの時間の扱い方だが、ドストエフスキーは、じつにうまく現実の時間を利用していることである... 続きをみる
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これまでの紀貫之のイメージを一新した画期的な名著です。子規の「下手な歌よみ」評から論を起こし、貫之は決して子規の言うような歌人ではなかったことを、「うつしの美学」と著者が呼んだ菅原道真の詩との関連を説き進め、古今集の暗示性、象徴性を体現した歌人であったことを豊かな説得力を持った文章で論証していきま... 続きをみる
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川端による清新な「竹取物語」訳です。源氏物語に「物語の出でし始めの祖」と書かれていることは有名ですが、竹取物語には、歴史上の実在の人物も登場するという虚構と現実が入り交じった性格を持っています。求婚者に無理難題を吹っかけるかぐや姫の姿は、ある意味で、現代の女性とも似通うところを持っています。ともあ... 続きをみる
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マンガの話である。 「ドラえもん」の最後は、あのおびただしい奇抜とも見える発想の数々の話は、すべて、植物人間となった少年の夢であったことが明かされて終わる。 ここには、教育的な意図などないと考えてよいので、「限りなく弱い自分」というものが、とてもよく信じられていたことが、よく分かる。つまり、あのお... 続きをみる
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十五分程度の曲なのだが、学生時代、はじめてこの曲を聴いたとき、そのあまりの苦さに怖じ気づき、再びこの曲を聴く気になるだろうかとさえ疑った曲である。このベートーヴェンの後期の王冠と言われる弦楽四重奏の苦さは並大抵のものではない。シェーンベルグさえ、まだまだ聴きやすいと思えるほどである。 学生時代から... 続きをみる
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普通人の話をしよう。もし西洋の普通人と東洋または日本の普通人のどちらかを信用するかという話になったら、わたしは即座に後者を選ぶ。人が良いからである。 ルソーは「エミール」の中で、もし君が美しい豊かな農園を所有していたら、厳重な警備を怠ってはならない。近隣の誰かが、羨ましがってやって来て、必ず、(ル... 続きをみる
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エッセイ クラシック音楽雑感 「ベートーヴェンとビリー・ジョエル」
ご存じの人も多いと思うが、ビリーがピアノソナタ「悲愴」の2楽章に歌詞をつけてアカペラで歌っているポップスがある。私はうかつなことに、ベートーヴェンの曲だと知らずに、友達に勧められて、ポップスも棄てたものじゃないなと何度も飽きるほど聴いた。学生時代のことである。 困ったのは、それからである。「悲愴」... 続きをみる
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以前、日本人の女性の平均寿命が下がったというニュースを見て、興味が湧いた。それで、その原因を調べてみると、20代の女性の自殺が一番だという記事を見て、NHKに寄せられている自殺願望の女性たちの投稿を色々と読んでみたことがある。 すぐに感じたのは、こうした彼女たちの要求に応えられるのは、超人的な、い... 続きをみる
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評論家で詩人の著者が、万葉集のおもしろさを伝えるために、懇切丁寧な解説を加えながら書き下ろした書物です。「今生きている私たちにとって、『万葉集』を読むことがどれほど身近なものでありうるかをということを、実際の作品を読むことを通じて考えよう」とした著者は、万葉学者でもなければ、その専門家でもありませ... 続きをみる