エッセイ 無形建築物考 <ヒエラルキーというもの>
新約聖書には、イエスがその生前、弟子たちに対して「あなた方はわたしの弟子として、これからわたしの弟子になる人々の、その末席に座る者となる。」と、語る場面があったと、記憶している。
これは、弟子たちを蔑ろにした発言というものではなく、ヒエラルキー<階級的権威>というものを、引っ繰り返し、その立場を逆転させるための発言と見た方が、良いように思える。
宗教は、無形建築物と言えると思うが、その準無形建築物たるイギリスの大学では、卒業式などに、大学者が羽織るような豪華な衣装を、初学者の卒業生に着せ、位が上がるほどその衣装を簡素にして、大学者と呼ばれるような人には、もっとも貧相な貧書生の格好をさせるという風習がある。
これは、とても賢い組織の在り方であって、長く続くような組織では、内部が固定化し、危うく腐敗するのを避けるために、このようなことをして、内部的に組織の活性化を図るのである。
このように、かんがえて見ると、共産主義的思想というものは、このキリスト教的なヒエラルキーの逆転を、単に、性急に拡大し、また暴力的にしたものに、見えてくる。
現代のような、激動の時代に、この思想を振り回すことの愚かさを、まだ、気付かない国や人が居られるようだが、如何なものだろうか。
そうして、共産主義的思想を掲げた国や組織は、その思想に反し、そのトップがなかなか変わろうとしないものだが。
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