エッセイ 深は新
この言葉は、高浜虚子の言葉である。わたしは、それを少しもじって「深層という新層」
という文句にして、自分の詩の中に紛れ込ませたことがある。
「深いものは新しい」これは、いつの世でも変わらないことであるようだ。だが、現在、周りを見渡してみると、物を作ろうとしているような人は、新味を出そう出そうとしているようだが、たとえば、ガウディのような自分というものを十分に掘り下げた新しさというものには、とんと出会わない。新しい顔をしたような本も、まったくその点では変わることがないようだ。
インスピレーションという古びた言葉があるが、わたしは、古い時代の詩人たちと同じように、このインスピレーションというものを信じている。それと、自分の母国語を信じるということとは、同じく、ごく自然なことのように思える。真の創造は模倣から生まれるということも、また、まったく同じように、ごく当たり前なことだと思っている。
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