※体調はずいぶん回復しました。ご心配をお掛け致しました。 わたしは、気概の感じられる深い思考が好きである。難解な思考というのではない。ごく、当たり前な言葉を使っていながら、考えが、とても深く張り巡らされているような文章には、たいへん惹かれる。 小林秀雄や井筒俊彦のような人の文章が好きなのも、その理... 続きをみる
2019年3月のブログ記事
-
-
このところ何も浮かばず過ごしおり体調不良の春となりけり 体調不良で、しばらくブログを休んでいます。どうぞ、悪しからず。<(_ _)>
-
「考える人」はロダンで有名だが、わたしは「半跏思惟像」の考えている姿の方が、好きである。 ロダンの像からは、思考の力と苦悩いうものを思わせずにはいないし、それがなんらかの焦点を結ぼうともがいている様がよく感じ取られるのだが、半跏思惟像の方は、仏像ということもあって、焦点は常にピタリと合っていながら... 続きをみる
-
あはれなる夢を見し夜のさめまにはうすらかなしき名残ありけり 本を読む人の上なるさくらかな もの思ういとまはありし春の月 書を離れ春の星々伊吹山
-
言の葉も交わさで去にし乙女子の面影けさの蝶に似たり 満月を見し一人身の夜なれど背中で語る生き様もなし 立ち止まり雲間に見ゆる春の月
-
セザンヌが好きである。だが、セザンヌの名作と言われるものは、そのほとんどを、金持ちが持って行ってしまい、一堂に会して見ることができないものになってしまっているのが、現状である。 画集だけで、セザンヌの絵を判断するのは危険だということは、分かり切った話であるが、さて、セザンヌの本領を発揮した本物をじ... 続きをみる
-
法然の新しさには、何か決定的なものがあって、わたしはその不思議な革新性に惹かれる。 法然の思想上の新しさは、「念仏も」往生の種となるというのを「念仏こそ」に改めたに過ぎない。だが、これは思想上のことに止まることではない。当時の人々の宗教生活そのものの革新だった。宗教生活の変化とは、当時の人々にとっ... 続きをみる
-
「源氏の前に源氏なく、源氏の後に源氏なし」そんな言葉があったかどうか忘れたが、史的に見ると、源氏物語は聖徳太子並みにその時代を超えている。 貞永式目が典範を持たない憲法であっったように、源氏も、その類例を前代に求められない。わずかに竹取物語にその萌芽を見いだせるだけである。かぐや姫があらゆる男を惹... 続きをみる
-
ここには、日本人が感じる情感を伴った「四季」とは、まるで異なった欧米人の感じる「四季」の姿があります。われわれに寄り添い、豊かな恵みを与えてくれる「四季」ではなく、はっきりと、それに対抗し、武装する必要さえある「四季」が克明に描かれていきます。聖書の記述に見える、イエスが、季節ではないいちじくに向... 続きをみる
-
河合隼雄の文章は好きで、ほぼ全集を読んだが、この人の文章は、どうも壮年期のものが良いように思う。筆頭に挙げられるべき本は「明恵、夢を生きる」であろうか。 晩年になり、文学者のように「文体」というものを気にするようになると、不思議なことに、文章に生彩が感じられなくなる。壮年期の「とりかへばや、男と女... 続きをみる
-
-
少し前の話で恐縮だが、この曲はたいへん好きで、よく聞いていた。 亡くなった本田美奈子さんも歌っていたが、「ああいう細い子じゃなくて、それこそテキサス辺りのでっぷりとしたおばちゃんに朗々と歌い上げて欲しいね」と言ったら、ある人から「それなら、スーザン・ボイルのを聞いたらいいよ。」と言われ、早速You... 続きをみる
-
-
源氏物語を読み返している。以前、読んで分からなかったことが、次第に鮮明になってきた。以前の読書はいささか読み方が幼稚だったようである。 およそ、物語の主人公で、これほど作者に、本当に愛された登場人物も他にいまい。そこには、贔屓の引き倒し以上のものがある。太陽光と同等と言っていいような直線過ぎる愛情... 続きをみる
-
現在、科学でもっとも分からない分野は、微生物の世界だと言われています。一つの砂粒の中に、一億個以上いる微生物の、その無限の無限を探求する必要があるからだそうです。本書は、その微生物研究の先駆けとなった、当時最先端の顕微鏡を用い、詳細にその不思議な姿を描いて見せたレーエンフェックをはじめとして、有名... 続きをみる