エッセイ ある感想 <市バスにて>
ある日、市バスに乗っていたときのことであるが、あるバス停にバスが停まったとき、運転手さんが、急に運転席から降り、慌ただしく動き出した。
何事かと思って見ると、そのバス停には、一人車椅子の方が居て、バスに乗るところだったのである。
暑い日であった。運転手さんは、用意していた踏み板を昇降口に置き、車椅子を押してバスの中に運んだ。それからが、大変そうであった。車椅子の人を気遣い、ある動作に入る度に、「大丈夫ですか。この箇所を固定しますが、不具合はありませんか。」など、多岐に渡る固定箇所を、しっかりと点検しながら、汗だくになって作業をしていた。
車椅子の人はというと、30代くらいの男性だったが、バスにの乗り込んでから、運転手さんが、その作業をしている間中、スマホを見続けていて、ほとんど、返事もしなかった。
5分ほど、時間を要したであろうか。運転手さんはその作業を終え、運転席に戻り、再び、バスは走り出した。
その後も、ずっと、車椅子の人は、スマホを見続けていた。
わたしは、こうした障がい者さんの権利は権利として認めはするが、しかし、とは思う者である。何故、せめて「ありがとう」の一言もなかったのであろうか。
もちろん、他の障がい者の方も、このようであるとは思わないが、地下鉄などに乗っていても、その世話をする駅員さんに、感謝のことばをかける障がい者の方は、最近、ほとんど居なくなってしまったのを、見受けたりする。
権利とは、一体、何であろうか。
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