エッセイ きれぎれ草 4
2018年サッカーW杯
日本対ポーランド戦での、日本へのブーイング試合。
あれこそ、本来の、古風な意味合いでの「やまとだましい」「やまとごころ」を持った日本侍選手たちの試合なのである。
「武士道」とは、だから、定義するのが、まったく困難な、じつに含蓄に富んだ言葉なので、一種の精神主義とは、一線を画するものなのである。
〇
ある空想<短詩型文学>
心に響く俳句や短歌をよむとこんな空想が湧いてくる。俳句や短歌が書かれた紙が風に吹かれて飛んでいく。あるものは道端なり川岸なり石の下なりに落ちている。それはずいぶん昔に書かれたものでも、現代になってから書かれたものでもよい。
字はすこし読みづらいようなところはあるが、あるとき、ある人間が詠んだものには違いなく、それが、偶然自分の目の前にある。
まるで、何かの音信を受けたように、自分自身を世界の直中で見出したように感じ、そうして、今まで詠まれてきた、また、これからも詠まれるであろう俳句や短歌が、自然やあるいは町中の至る所に散らばって隠れているような気がしてくる。そんな空想が湧く。
〇
芭蕉の句集をよんでいると、芭蕉には一生かけて追い求めていたイデーのごときものがあったのではなかったかとかんがえることがある。
ある何がしか、これしかないというもの。少なくともそういうものを追い求める姿勢は、芭蕉は生涯を一貫して崩したことがないように思える。
自由な連想になるが、私は芭蕉の句を思い浮かべると念仏を連想し、対して、蕪村の句を思い浮かべると題目を連想する。
芭蕉の句の、あの沈み込むような感じや、単一なイントネーションの処理の仕方は、句集全体を通して変わらない。極めつけの頑固さで、まったくよそ事に色目を使わない。専修念仏の求道者そのものと言った趣がある。色調は暗いが、強い光が明滅する。
それに比べると、蕪村は多彩で遊びがある。全体の色調は明るく開放的で、豊かな想像力はのびのびと発揮される。淋しさの表現も比類がない。
けれども、思うのだが、これは芭蕉が独力で切り開き、礎を据えることに成功した俳諧文芸の基盤の上に立っている豊かさではないかと、どこかで思う。
蕪村は熱烈な芭蕉信奉者だったというが、そうだったろうと思う。蕪村は自分の文芸が何を拠り所としていたのか、よく、知っていたのだろう
。
それで、先程の連想だが、全人的ということで文芸は、宗教に劣る。だから、これを宗教的な事柄にまで敷衍してかんがえてしまうのは、明らかな違反であることを断っておかなければならない。
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