ある野党議員は、まるで、企業の内部留保が諸悪の根源のような論を、成しているが、この企業が蓄えて置いた内部留保がなければ、以前、リストラによって嵐が吹き荒れたときのように、諸外国も含めて、経済に嵐が吹き荒れている、現在、日本の企業は早くから、立ち直れなくなって、大量の失業者を出していただろうことは、... 続きをみる
資本主義経済のブログ記事
資本主義経済(ムラゴンブログ全体)-
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※以前の文章から、ずいぶん、時が経ってしまいましたが、思考を止めていたわけではありません。ある程度、まとまったかんがえとなった感触があったので、それを、ここに記述してみたいと思います。 ここで、わたしの最初の直感に立ち帰って、隠居と見巧者とを、何とか繋ぐ論を、展開できないかと探りたい思いに駆られて... 続きをみる
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ここで、「道」の論に入る前に、資本主義について、日頃かんがえていることを、少し、まとめて書いてみたい。 資本主義経済がもたらすものは、豊かさである。豊かさというものは、言わば、生活上の拡大と利便と華やかさであるが、それがいつのまにか、人生上の事柄にまで広がるものだという信仰に近いものがあったのは、... 続きをみる
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資本主義経済の誕生から間もなく、社会には、大変革が起こり、「資本論」のような、資本主義的な運動に、急ブレーキを掛けようとする新思想が登場することは、皆さん、ご存知の通りである。 ここで、先述した、量の多寡は質の変化をもたらすということばを、つらつらとかんがえてみたい。 金、特に貴金属である金銀が、... 続きをみる
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次に、働くことに直結する、経済学という学問について、かんがえてみたいと思う。 ただ、わたしの場合は、経済学という学問には、素人の知識しか持ち合わせていないこともあり、どうしても、後に不明を恥じ、牽強付会の説を為すかも知れず、予め、そのことについては断って置きたい。素人の怖いもの知らずの論になると思... 続きをみる
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資本主義経済は、金銀に変わる貨幣として、紙を選んだが、これは、見事な応用問題の解き方だったと言って良いだろう。実質的な価値を持つ物体から、形而上的な信用を載せた紙幣への移行は、さしたる混乱もなく、滞りなく行われたようである。 そして、さらに時代は変わり、キャッシュレスの時代へと変貌しつつある。最初... 続きをみる
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※この記事は、少し分かりにくいと思いますので、「資本主義経済」というタグの中の「紙幣という形而上」という記事をご覧頂いて、参考にして頂ければ、幸いです。 一時代前は、通貨と言えば、貴金属だった。つまり、通貨は実質を持った価値を持っていた。国が滅んでも、通貨自身が価値を持つ財産だった。 しかし、資本... 続きをみる
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前に、このブログで一度触れたが、ドストエフスキーの「白痴」の中で、ナスターシャが大金の札束を燃やそうとする場面をよく見てみたい。紙幣が、金銀貨とは、まるで違ったものだということを象徴的に表現している箇所だと思えるのである。 バルザックの時代は金銀貨であり、それは、そのままで実質的な価値を持つ貨幣で... 続きをみる
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あるとき、ある高等学校の生徒さんの作文を多く読む機会があった。それを見ると、彼らがいかに<結果>というものに心を蝕まれているかを痛感した。 彼らの作文で、よく出て来るテーマを圧縮してみると、努力→結果という図式である。ほとんど、これ以外は考えようがないというくらい頑固にこの単線の思考を繰り返してい... 続きをみる
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運動はどのような運動であれ、それが継続されていれば、内的にソフィストケートされる。資本主義経済という大運動も、その例外ではあるまい。現代の日本では、それが資本主義経済に付随する特徴であった「速さ」として洗練された。 リニア新幹線は、そのもっともシンボリックな表現と言っていいもので、これが、確かに富... 続きをみる
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資本主義経済が人狼的な性格を持っていることは、「資本論」が指摘した通りである。産業革命は、まず、自国の下層の人々に刃を剥いた。「女工哀史」はつとに有名だが、現在の日本でも、例えば、トラックの運転手に「雪が降ろうが、台風が来ようが延着は許さない。」と迫るところによく表れている。 だが、資本主義経済の... 続きをみる
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一時代前、結婚は人生の墓場という言葉があったが、最近の新入社員の黒づくめのスーツを見ていると、就職は人生の墓場であるかと思ってしまう。 さて、結婚難で、少子高齢化の時代となり、これは、どうした加減の現象かと問いたくなるところである。明治初期の頃、福沢諭吉は、結婚率の割合と米の相場が連動していること... 続きをみる
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ひとことで、資本主義経済というが、その本性は定義も、ある大まかな分類も不可能な、巨大な世界的現象で、文学上のロマンティシズム運動が定義不可能な大きな運動であるよりも、もっと規模の大きな社会的運動であるということである。 分かっているのは、大規模な需要に対する大規模な供給、それと、なによりも速さを伴... 続きをみる
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雑駁な言い方を、許してもらえれば、マルクスの「資本論」は、通貨が金貨や銀貨であった時代のもの、ケインズの経済論は通貨が金銀から紙幣となる移行時代のものと言えるのではないだろうか。 1978年から、金が通貨の座を奪われ、国際通貨が不在となり、通貨はことごとく価値が相対化された。この価値を保証するのは... 続きをみる
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ドストエフスキーの「死の家の記録」の中で、廃船解体を命じられる囚人たちの話がある。鮮やかな印象を残す場面で、最初に読んだときにも、よく記憶に残った。 アランも「幸福論」の中で、言及しているが、囚人たちに課せられたのは、どこにでも山のようにある、一文の得にもならない廃材を、廃船を解体して積み上げるこ... 続きをみる