エッセイ 考えるということ 2
※体調はずいぶん回復しました。ご心配をお掛け致しました。
わたしは、気概の感じられる深い思考が好きである。難解な思考というのではない。ごく、当たり前な言葉を使っていながら、考えが、とても深く張り巡らされているような文章には、たいへん惹かれる。
小林秀雄や井筒俊彦のような人の文章が好きなのも、その理由に拠る。言葉というのは、たいへん不思議な、おもしろいもので、これほど、みんなが挙って使う普遍性の高いものでありながら、その言葉の端くれを取り出しただけでも、その使う人の個性はもとより、その人の全体さえ表してしまうようなものである。
その意味で、言葉は逃げ隠れが出来ないものと言って良いのかも知れない。使われた言葉が表す深浅は、その人の心の深浅をそのまま表していると言える。これは、知識がどうの教養がどうのという問題とは、別の次元の話で、その人が、自分というものをどれだけ掘り下げているかに拠るようである。
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