モンシロ蝶は日向を好む アゲハ蝶は日陰を好む モンシロかわいい アゲハはきれい モンシロ浮薄 アゲハは玲瓏 モンシロパタパタ アゲハはヒラリ そこへミツバチやって来た ここは見知らぬ人の庭
2018年11月のブログ記事
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司馬遼太郎が、各界の人物たちと文化、国家について縦横に語った対談集です。巻頭の井筒俊彦との対談が選者には、一番おもしろく読めましたが、それぞれに知的刺激に溢れた対談群です。司馬は国民的に人気のある作家ですが、その司馬の等身大の姿が見えてくる得難い書物です。司馬遼太郎は、単に人気があるだけの作家では... 続きをみる
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すごいような夕焼け空の下人間たちのたましいに動物たちのたましいが忍び込んだ 月澄んで猫になりたい夜だった 批判めくしわぶき残し人去りぬ ひび割れし心にしみる風のありぬ 猿鉄条に病んで夜長し 壊れても目鼻ありけりピカソかな <無季>
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歌人種田山頭火を描いたフィクションです。わたしの好みからいくと丸谷の中でもっともよい小説ではないかと思われます。「横しぐれ」という一語を文学史的に繙いていって、旅先で偶然出会った山頭火に「なるほど、これで十分なわけですな」と言わせます。「横時雨」はこの一語で成立している「うた」で、古来から歌の師匠... 続きをみる
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ドストエフスキーの心理観察眼が縦横無尽に極限まで達したかと見える小説です。一人の未成年に語らせるという形式を取り、「悪霊」の直後に書かれ、「カラマーゾフの兄弟」への踏み台となったこの小説は、ドストエフスキーの最も得意な分野である複雑怪奇な心理世界を余すところなく書き尽くしているようです。小説の最後... 続きをみる
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ドストエフスキーは、自身を省みて「私はあらゆることにおいて限度を踏み越える人間だった」と述懐しています。ルーレットにはまると、靴下まで賭けてしまうという始末でした。この作品はドストエフスキーが口述したことを筆記し、即製されたものです。借金を返すためのやむを得ない事情からでしたが、賭博者というものは... 続きをみる
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武士道は、歴史的に見て、非常に発展性のある思想である。これは格別なことといって良く、世界的に見ても稀な思想と言って良いようである。 思想というものは、深くそれを考察するとき、原点に戻るのが本来である。キリスト教でもイスラーム教でも仏教でも儒教でもその原理は変わらない。言わば、最初にすべてが所与され... 続きをみる
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現在、歴史家の間で、聖徳太子のことが取り沙汰されている。聖徳太子という人は居なかったという説が有力なのだそうである。 居なかったかどうかは、ともかく。ここで至極当たり前なことを指摘しておきたい。人間の心というものは、あるものをないとして考えるというときには、とても活発によく働くものである。だが、元... 続きをみる
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丸谷才一は先年亡くなりましたが、現代小説家として、通好みの小説ファンが多かった人です。「小説家としては学問があり過ぎ、学者としては想像力があり過ぎる」と言われたほど博識な小説家でした。この小説はまだ女を知らない青年と可憐な生娘との初体験がテーマです。うぶ同士の若い男女の交渉はよく書かれていて、微笑... 続きをみる
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夏座敷縁側降りる猫の子や耳をそばだて秋の音をきく 夜の秋窓より風のまたぎ来る 月天心とんがりおりぬピラミッド ランボーという男あり秋の夜 くったりと女ねむるやキリギリス しばらくは月を見ていし無人駅 永遠という観念の秋は深み
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日なた日陰小春日和の散歩道 眺め入る空には秋や信号待ち 部屋を出でずこころ散らかる日曜日 <無季> 寒風にひとり吹かれて帰り道 雷鳴やひとり過ごせる部屋に風 レクイエム聴くよしもがなかの日にはモーツァルトは死にたりければ 聴くも良し聞かずともよしレクイエムモーツァルトは生きたりければ
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ルソーの「エミール」にはこんなことが書かれている。「病院は病気を治すところではなく、病気をつくるところである」と。 現代医学の発達は目覚ましいから、現代では一概に、このルソーの言葉通りという訳にはいかないかもしれないが、未だに、ある真理を内包している言葉である。 わたしと同じくらいの年代の人は、お... 続きをみる
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小型爆弾と言ってよい本です。「罪と罰」の直前に書かれました。ドストエフスキーは人物としてはとても意地が悪く、付き合う人々を困らせずにはいない厄介な人である上に、至極純良な心を持っているというじつに複雑な心の持ち主でした。「ぼくは病んだ人間だ。意地の悪い人間だ。」という出だしで始まるこの小説は、その... 続きをみる
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18才の時に描いたものです。 この絵は、友人の間で不評だったので、30年余経って、少し描き直したものです。描いていなかった肩を付け加えました。
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※この記事には、禁忌に属する事柄が少し含まれています。苦手な方はお読みにならない でください。 人間の深奥にある「信」の心は、神や仏などの絶対的な存在におくべきであろう。 これは昔から変わらない事柄である。 横道に逸れるが、日本では無宗教を標榜して、平気な顔をしている人がいるが、これは日本独自の... 続きをみる
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小林初期の数十ページほどの短文です。初期の小林らしい江戸っ子気質が窺える威勢のいい啖呵を切ったような文章ですが、わたしは若い頃この短文を読み、どれほど勇気づけられ励まされたか知れません。この短文は最後にこう締め括られています。「良書は、どのような良書であれ、たった一つのことしか語っていはしない。君... 続きをみる
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ヴァレリーは、ベルクソンやアランと並ぶ同時代の哲学者で、詩人でもあり批評家でもありました。明晰な純粋意識を徹底して実験して見せた『テスト氏』は、数学的な意識研究報告書といっていいものです。『ドガ・ダンス・デッサン』では親交のあった画家ドガの言葉をモチーフに、批評文のあらゆる可能性が試され、深遠な哲... 続きをみる
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ムハンマドは40才まで、勤勉な商人として働いていました。あるとき、神の啓示を受けコーランを書きはじめました。イスラーム教は、日本から心理的に最も遠い世界的宗教ですが、信者は世界で17億人以上を数えます。コーランは、ムハンマドの口を借りて直接神が語りかける体裁をとっています。ムハンマドというまったく... 続きをみる
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猫じゃらし思い思いにクビ揺らし 霧雨やすっと立ちたる赤き花 もみじ葉やアスファルト上二三枚 心病みてむさぼるごとく月を見し 心病めど澄み渡りたる名月や 人形の首のみ取れしさびしさよ 雨上がり沈む西日のすごきかな 春深み小さき花や線路わき
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2015年に描いた「ニーチェ」です。 ニーチェの本はよく読んだ方だと思いますが、じつはわたしはニーチェが苦手です。「きれぎれ草」にも少し書かせてもらいましたが、ニーチェの文章には強い感電力を感じてしまい、長く読み続けることが、わたしにはむずかしいです。 この絵は少し悲劇的なニーチェになったと思いま... 続きをみる
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精神と脳との関係は、パラレルではないことを結論づけた哲学史上画期的な論攷です。ベルクソンはこの著作のために長年失語症の研究を行いました。その知見の上で、脳は現実世界に対する注意の器官であって、記憶を司っているのは精神であると述べ、両者は確かに密接な関係にあるが、決して厳密な対応関係にはないと論じま... 続きをみる
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重厚で難解な著作の多いベルクソンの中では、比較的軽いと言ってよい論考ですが、ベルクソンの並外れた直観力と鋭敏な分析力が十分に味わえる「笑い」についての卓越した名著です。笑いの本源的な勘所を「こわばり」に見、この一見なんでもないように思える言葉を取り上げ、するどくたくましい分析力によって笑いの本質そ... 続きをみる
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シェイクスピアの作品の登場人物の中では、年齢が特定されている人物は数名ほどですが、ジュリエットはその中でもはっきりと十四才とされています。これは真剣な恋愛をするのには十四才で十分だということを物語っているようです。この「ロミオとジュリエット」は、悲劇と喜劇との境を紙一重の差で行き来するように見えま... 続きをみる
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シェイクスピアのギリシア政治劇です。「ブルータスお前もか。」の名台詞が見えます。シェイクスピアの中ではもっとも男らしい剛毅果断な悲劇と言っていいでしょう。作中「あの男はおそろしい、何を考えているか分からぬ。あの男は痩せているからだ。」という文句は、後世の心理学者クレッチマーを刺激して、今でも人々に... 続きをみる
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シェイクスピアの作品にはおよそ必ずと言っていいほど原作となる種本があるのですが、この劇には筋となる種本がないそうです。まさしく真夏の夜に見る夢のような筋書きのない劇が進行します。劇が終わった後には、じつにあざやかな夢から覚めたような気持ちにさせられます。シェイクスピアは詩人としてその経歴をスタート... 続きをみる