エッセイ フェイクニュース <現代史>
最近、戦争中また戦後期の日本軍人の有り様について、声を大きくして、言える機会が増えた。
もっとも、象徴的だったのは、天皇陛下がインドネシアを巡幸された際、カリバタ英雄墓地を訪れ、献花されたことだったであろう。
わたし自身、陛下がこの地に行幸されるまで、その歴史については、まるで無知だった。おそらく、わたし以外の多くの日本人も、そのような認識だったであろうと、思っている。
NHKも、先の大戦の戦中戦後の歴史について、番組を作成するとき、控えめながら、日本人がこの大戦を、どのように戦ってきたのかを、次第次第に、しっかりと声を上げるようになってきたようである。
だが、先般の「東京裁判」についての番組を見てみても、その「しっかりと」という表現には、まだまだ、ほど遠いような状況のようではあるが。
「正しい」歴史認識というような、ある外国が流行らせた、ことばがある。
歴史を振り返って見て、これは正しいあれは間違っているというような、フェイクニュースばかりを、われわれは、長年、聞かされてきた。
正しい歴史認識も、何も、ありはしない。隠されていた真実は明るみに出てくるという、当然至極な事が、今、現在起こっているだけのことである。
歴史とは、本来から言って、そのようなものである他はない。
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