Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 音楽批評という詩

音楽について、語ったり語られたりする際、わたしは注意することがある。音楽について言われたその言葉が、ちゃんとその人自身の詩となっているかどうかということである。


ごく若い頃だが、名前はとうに忘れてしまったが、あるクラシック音楽の評家と称する人の文章を読んだことがある。そこには、ある有名な音楽家の曲を引き合いに出し、さらにまた「わたしの現在の心境は、この音楽が喚起する王維の詩の心そのままである。わたしは云々と・・・」というような文章が書かれていた。


これを読んだとき、わたしは、これは文章とも呼べぬ。ほとんど世迷い言に過ぎないと思ったものだった。何を、有名な音楽家の曲やら、王維などの詩を引っ張り出して、自分の心境はどうのこうのと言えたものだ。もし、そのことば通りなら、それを、自分自身の詩として語ってみるのが本当だろうと。


ただ、当時は、こんな風には言葉に出来ずに、こういう文章が、音楽批評としてまかり通っているんだと、なにやら、うそ寒いような気持ちなり、日本のクラシック音楽批評の低調さを思ったことを、覚えている。


上記の文章を読んだのは、小林秀雄の「モオツァルト」を読む前だったと記憶しているが、小林の論考が、批評というかたちを取った詩に他ならないことを、理解できる人は分かってくれるだろうと思う。


批評もまた、批評というかたちをとった創作に他ならない。そうして、創作とは独立した詩でなければ、意味を成さないものなのである。そうでなければ、それは、単なるおしゃべりというものに、過ぎない。