Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 龍之介「侏儒の言葉」考

わたしは中学生の頃、この書の言葉を、ほとんど金言扱いにして、読んでいたものである。兄貴たちの影響から、抜け出せていないときだった。


有名な、マッチ箱と人生とを絡めた警句などは、当時のわたしの胸に強く響いたものだったが、今、振り返って思うと、何と、すかした斜に構えた言葉だろうと、当時の自分の心持ちが、ずいぶん変わってしまったことを、痛感する。


これには、小林秀雄が「芥川龍之介の美神と宿命」で、龍之介を「神経の作家」と相対化してくれたことが、大いに関係していた。小林からそう言われて、龍之介を見てみると、確かに、自分の神経にしか関心のない作家と、言って良いように思えた。


モーパッサンに関する、訳の分からぬ比喩、ドストエフスキーについての漱石譲りと言って良い、皮肉めいた言、トルストイについてだけは、ある真率な感情が窺えるが、それも、一過性の感情のように思えてならない。「侏儒の言葉」とは、その通り、「小人のことば」と受け取ってなんの差し支えのないものに、今のわたしには、見える。


わたしは、取り上げる作家については、なるたけ、貶すことのないようにしているが、もし、悪口を言うのであるなら、その作家が、権威的にしっかりしているか、所謂、大御所とか国民的作家というものに、目される人であるなら、わたしは、そういうことをしようという、気になる。


いつだったか、ある文芸同人誌会で、漱石のことを、さんざんこき下ろしたしたことがある。そのときは、ある人から、思いっきり、抗弁されたものであるが、感情的な抗弁を出ず、わたしの見解は、まったく変わらなかった。詳細は省くが、今でも、その見解は変わらない。