閑話休題 まっすぐに聴くということ
古代エジプトに、王のことばを、そのまま神の言葉として、羊皮紙に記銘する、純粋極まりない表情をした書記官の彫刻がある。
人間、ここまで相手を信頼しきって純粋になれるものかと思うくらいの顔と表情である。
ただ、そこまで行かなくても、人の話をまっすぐに聴くという姿勢は、トリビアルな事ではなく、重要な事柄である。
中原中也と親交のあった人に拠ると、中也は、そういうことについては、ずいぶん真っ正直な人であったようで、こちらが、鬱陶しく思うくらいまっすぐに人の話を聴いた人であったようである。
このまっすぐに人の話を聴くという姿勢は、聞く側だけでなく、話す側にも少なからぬ影響を与えずにはいないものである。中也の、生真面目な姿勢に対して、鬱陶しく思ったというのも、話す側としても、いい加減な話をする訳にいかないという気にさせたことであろう。
因みに、その親交のあった一人として、青山二郎という人が居るのだが、その中也を評して「お前さんは、話はおもしろいが、詩はそれほどでもねえな。」と言って、中也を激高させたそうである。
詩人という者は、どこまでも、生一本な者であろうと思う。
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